戦国時代以前には大高坂城と呼ばれる城が築かれていた場所で、戦国期には長宗我部元親も
岡豊城からここに移って来たが、水難に悩まされ3年ほどで移った。その後、関ヶ原の功績により
家康から土佐一国を拝領した山内一豊が遠江掛川から20万石で入封し、現在見られる高知城の基礎を築いた。
享保12年の大火により、天守以下の殆どの建物を焼失したが、享保14年から26年の歳月を掛けて復興され、
この時期に築かれた天守や本丸御殿が現存している。日本国内に残る木造の12古天守の一つであると共に、
本丸全域建物が完全に残る唯一の城として15の建造物が国の重要文化財に指定されている。
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