浦戸城



【浦戸城】
image-1  鎌倉時代末期にこの地の豪族の城として築かれたのが始まりで、16世紀の初めに本山氏の勢力下となり 朝倉城の支城として機能した。永禄3年(1560)に長宗我部国親が攻め落とし岡豊城の支城となった。 その後、天正19年(1591)頃長宗我部元親が本格的な拠点として整備し、以後10年間長宗我部氏の本城となった。 関ヶ原の合戦後の慶長6年(1601)に山内一豊が入城したが、その2年後の慶長8年には高知城に移った為に廃城となった。


【詰ノ段跡】
image-1  本丸にあたる詰ノ段跡。現在は国民宿舎『桂浜荘』が建てられている。 桂浜荘の改築などの際に石垣も見つかっている。


【天守台】
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 詰ノ段北東隅に位置する天守跡。詰ノ段からの高さは7m程で南北15m、東西11m程の天守台上には、 中世の山城としては珍しい三層の天守が築かれていたと思われる。昭和33年の展望台造成工事で 北側斜面が削り取られ、現在は大山祇の祠が建てられているが、その周囲には一部石垣が残っている。


【復元石垣】
image-1  天守台の南側に残る石垣。天守から延びた石塁の一部を移築したもので、野面積みで築かれている。


【出城石垣】
image-1 image-1  桂浜荘の南端に残された石垣。詰ノ段の東南部に張り出して築かれた5間×3間の出城部分の石垣の一部。 石垣の内側の席段も残っている。


【井戸】
image-1 image-1  出城の石垣の外側にあたる部分に残る井戸跡。現在は龍馬記念館の敷地になっている為、 出城の石垣からは直接行けなくなっている。周囲には石が散乱しており、当時の石垣の一部と思われる。


【詰ノ段土塁】
image-1  桂浜荘の駐車場の西隅には土塁の残欠のような当時のものかは定かでない。


【龍馬記念館】
image-1 image-1  詰ノ段南側の一段低くなった場所には龍馬記念館が建てられている。


【東側腰曲輪】
image-1  詰ノ段の東側、一段下がった道路部分には腰曲輪があったであろう平坦地が残っている。 この辺りも当時は完全に城域だったと考えられる。


【竪堀】
image-1 image-1  桂浜方面に下って行くと、途中に竪堀のような地形が数本見られる。当時の遺構かは定かでないが、 岡豊城のしつこいまでの竪堀を見ていると、これも竪堀のように思えてくる。


【石碑】
image-1  道路沿いに建てられている『浦戸城跡』の石碑。近年この場所に移設されたっぽい。


【桂浜】
image-1 image-1  言わずと知れた桂浜。浦戸城を見に来る人は少ないが、桂浜と坂本龍馬像を見に来る観光客は多かった。