伏見城


【伏見城の歴史】


【模擬天守・模擬大手門】


【治部池】


【北堀公園】
 明治中期以降、昭和30年までは京都市水道局の貯水池として使用され、地元では「水源池」と呼ばれていた。 堀の構造は、東西に「E」型をしており、一段ないし二段の「武者走」をもうけている。昭和55年秋、石垣列確認の 発掘調査を実施、南斜面より長さ8メートル、高さ1.5メートルの石垣列を検出、その後、平成2年・3年と2回発掘 調査を実施、数ケ所にて石垣等を確認、崩壊を防止する必要上埋め戻した。中央部分の突出部の南からは堀を 埋めた様子が確認され、この北堀とこの南側の内堀とが、かつて繋がっていたことを示していた。 発掘調査終了後、平安建都1200年記念事業の一環で、スポーツ公園として整備された。


【弾正丸】


【弾正丸〜大蔵丸】


【大蔵丸】


【礎石】


【桃山稜】


【御香宮表門】

【御香宮 竹田街道】


【源空寺】