Japanese Castle

猪崎城跡

猪崎城跡について

 天文年間(1532~1555)頃にこの地方の国人だった塩見氏によって築かれたと考えられており、明智光秀により福知山城が築かれるまでこの地域の拠点として機能していたと思われる。天正7年(1579)光秀の軍に攻められた際、当時の城主塩見家利は火を放ち落ち延びようとしたが、見つかり討死したと伝えられており、その後廃城になったものと思われる。現在は三段池公園の一部として綺麗に整備されている。
【石碑と登城路】
 城域の北東に『城山』の石碑があり、そこから主郭まで遊歩道が設けられている。この遊歩道沿いに数段に渡って曲輪が見られるが、当時の登城路では無いだろうな。
【曲輪】
 主郭の東側には数段にわたって曲輪が設けられている。綺麗に整備されており、曲輪の形状がよく分かる。南側に、虎口とみられる窪みも見られる。
【主郭空堀】
 主郭周囲の見事な空堀。虎口のある西側を除き、ほぼ全周にわたって築かれており、堀の外側には高いところで3m近い土塁も築かれている。この地域でこれほどの土塁と空堀を見れるとは思っていなかった。この城一番の見所。

【主郭空堀】
 北側の空堀外側の土塁の一部には、用途が分からない窪みが見られる。武者隠し的な用途で、土塁がコの字に曲げられているのは静岡の丸子城などで見たことがあるが、それとも違う感じ。そもそも、これは遺構かどうかも良く分からない。
【主郭】
 西側の虎口から主郭へ。独立丘の頂部を削平した曲輪で、かなりの広さがある。また、虎口横には櫓台跡が見られる。当時は虎口を守る櫓が建てられていたのだろう。
【腰曲輪】
 ほぼ円形の独立丘に築かれているので、主郭の周囲には全周にわたり多くの腰曲輪が設けられている。北側の一部は遊歩道の敷設の際に一部改変されている可能性があるが、それ以外の場所は良く残っている。

【竪堀跡?】
 南側の腰曲輪の一部に、竪堀のような部分が見られる。場所的にも竪堀っぽい感じがするが、当時の遺構かどうか定かでは無い。