Japanese Castle

二条城

二条城について

 慶長8年(1603)に徳川家康によって、将軍上洛時の宿所として築かれた。京都における江戸幕府の象徴とも言える城で、巨大な天守や優雅な御殿も建てられた。寛永3年(1626)に大規模な拡張・修復工事が行われ、この頃に築かれた二の丸御殿が現存している。幕末の慶応3年(1867)には、十五代将軍徳川慶喜がここで大政奉還をした事でも有名。

二の丸

【外堀】
 典型的な輪郭式平城の外側、二の丸周囲の外堀。全周にわたり、水堀が残っている。
【東大手門】
 二の丸東に位置する大手門。大手だけあり幅13間、間口5間の巨大な櫓門。城の創建時につくられたものと考えられており、重要文化財に指定されている。現在は二条城の唯一の入口となっている。
【番所】
 東大手門を入ってすぐのところにある番所。現存する門番所は意外と少ない。10間×3間(19.6m×6.06m)の規模で、江戸から派遣された武士が毎年交代で警備していたらしい。
【二の丸東南隅櫓】
 二の丸の東南隅に位置する二重櫓。初重は5間(約9m)の規模の大きな櫓で、大手口を守っている。重要文化財に指定されている。
【二の丸西南隅櫓】
 二の丸の西南隅に位置する二重櫓。大手方面ではないからか、東南隅櫓に比べると一間四方小さい。基本的な構造は同じだが、破風が若干違う。重要文化財に指定されている。
【唐門】
 二の丸御殿の正門。豪華な装飾が施された派手な門。これが桃山文化というものらしい。
【二の丸御殿】
 周囲の建物が軒並み重要文化財の中、唯一国宝指定されている二の丸御殿。ここの大広間で徳川慶喜が大政奉還した有名な場所。
【二の丸庭園】
 二条城築城と同時に小堀遠州によって造営されたと言われている二の丸庭園。庭のことはよく分からないが、歴史的庭園の中でも最も優れた庭園の一つに数えられているらしい。
【北大手門】
 二の丸北側に位置する北大手門。こちらも、東大手門同様、規模の大きい櫓門だが、二階渡櫓部分が東大手門より若干小さいらしい。重要文化財に指定されている。現在は通行止め。
【清流園】
 二の丸の北側一帯は現在清流園となっている。昭和になって造られた庭園で、角倉了以の屋敷の一部や庭園の石を1000個以上集めてつくられたらしい。
【桃山門】
 内堀南東隅に位置する規模の大きな長屋門。この桃山門と北側の鳴子門とで本丸東側の虎口を固めている。
【鳴子門】
 内堀の北東隅に建てられた門。規模は小さいが格式高い薬医門で、重要文化財に指定されている。
【南中仕切門】
 二の丸の南側に設けられ、西側に通じる通路を仕切る埋門。庇付きの少し変わった造り。重要文化財に指定されている。
【北中仕切門】
 南中仕切門と同様に西側に通じる通路を仕切る埋門で、造りも南中仕切門とほぼ同じ庇付き。こちらも重要文化財に指定されている。
【西門】
 二の丸西面に設けられている唯一の門。埋門形式でつくられており、一見目立たないが、本丸に近いこともあり、この門の内側は枡形で厳重に守られている。現在見られる門は寛永期につくられたもので、重要文化財に指定されている。ちなみに、徳川慶喜はこの門から大阪城に逃げたと言われている。
【南門】
 妙な造りだと思ったら、大正時代に設けられた門らしい。すぐ近くに東大手門があるのに・・・

本丸

【本丸櫓門】
 本丸周囲の内堀も全周にわたって良く残っている。

【本丸櫓門】
 本丸の東側に現存する櫓門。現在は門のみが残っているが、当時はこの櫓門から内堀に懸けられた橋廊下が接続しており、昭和初期までは残っていたらしい。重要文化財に指定されている。
【東側虎口】
 櫓門の内側も枡形で厳重に守られている。
【本丸御殿】
 本丸の大半を占める本丸御殿。創建当時の建物は天明8年(1788)に焼失した。現在の本丸御殿は京都御所にあった旧桂宮邸の御殿を明治26年(1893)に移築したもの。
【天守台】
 本丸南西隅に位置する高さ21mの立派な天守台。寛永年間に伏見城から五重の層塔型天守が移築されたらしいが、寛延3年(1750)に落雷で焼失し、以降再建されなかった。現在は天守台石垣のみが残っているが、かなり規模が大きい天守だった事が分かる。
【本丸周囲の石垣】
 本丸周囲の石垣。天守台に面した西側にはかなり長い雁木が設けられている。
【本丸隅櫓】
 本丸の四隅には、南西部に天守台、北西部には三重櫓、西側には二重櫓がそれぞれ建てられていた。現在もそれらの櫓台が残っている。
写真左:本丸北西三重櫓跡
写真右:本丸南東二重櫓跡
【西側虎口】
 本丸西側の西虎口は、城内唯一の出枡形となっている。門は多門櫓の下に設けられた埋門形式で厳重に守られていた。