Japanese Castle

上楯城

 慶長遣欧使節として有名な支倉常長の祖父、支倉常正が二本松の戦いに戦功をあげて所領安堵され、天文14(1545)年に築城したとされる。東西300m、南北200mに及ぶ城域の周囲には、ほぼ全周にわたり巨大な土塁と連続空堀等が巡らされており、支倉氏単独での築城とは信じられない程の規模。現在もそれらの遺構がほぼ完存する貴重な連郭式山城として、近年は発掘調査が行われるなど、整備も進められている。

二の丸跡

【遊歩道】
 川崎町は城跡の保存に力を入れているようで、町内の主な城跡には案内地図が用意され、ここ上楯城については史跡指定もされていないのに、立派な駐車場も完備されている。この駐車場から遊歩道が設けられており、城跡まで迷うことはない。
【二の丸】
 上記の遊歩道を5分ほど歩くと二の丸に至る。曲輪内は木々に覆われてしまっているが、周囲には一部土塁が残っている。
【二の丸西側空堀】
 二の丸の西側部分の空堀。高低差7~8mに及ぶ規模の大きな空堀の外側に重厚な土塁が築かれている。藪で確認しにくいが、恐らくその先に更にもう一本土塁が築かれており、二重堀になっていると思われる。見学開始早々、圧巻の遺構。
【二の丸北側空堀】
 二の丸の北側も、西側ほどの規模ではないものの、空堀の外側に築かれた土塁が形良く残っている。
【二の丸北側土塁の切れ目】
 上記の北側の空堀の外側の土塁の一部に切れ目が設けられている。これは竪堀か?と思ったが、同じ箇所の二の丸の土塁にも切れ目がある。登城路でも設けられていたのだろうか?

二の丸~本丸

【二の丸北側空堀~本丸空堀】
 二の丸北側の空堀は、そのまま本丸の空堀と繋がりT字状になっている。
【竪堀】
 上記のT字状の二の丸と本丸との空堀の接続部の外側には竪堀が掘られている。明瞭に残っており、単体で見ると明らかに竪堀だが、位置が少し微妙な感じもする。先程の土塁の切れ目と良い、ちょっとこの辺りの造りは良く分からない。
【二の丸~本丸空堀】
 本丸と二の丸との間の空堀。この辺りはだいぶ埋まってしまっているように見える。

本丸

【本丸西側空堀】
 本丸と二の丸との間の空堀は、そのまま非常に形の良い薬研堀となって本丸の北側まで続いている。この辺りも堀の外側に土塁が築かれている。この城では二重堀がデフォルトとなっているようだ。
【本丸南側空堀】
 そのまま北に向かうとディープな感じの堀が見えたので、とりあえず一旦遊歩道まで戻って本丸の西側~南側に続く空堀を確認。遊歩道沿いとあって綺麗に整備されている。ここまで見てくると、現在遊歩道となっているところは、堀の外側の土塁にあたる部分だったであろう事が分かる。というか、もう土塁にしか見えない。
【本丸】
 二の丸との間に設けられている登城路から本丸へ。一部に土塁が残っている。
【大銀杏と蛇塚伝説】
 本丸の大銀杏。この大銀杏は2代目らしいが、若者が蛇になってこの銀杏を上ったという、城にありがちな蛇塚伝説があり、銀杏の横には祠が建てられている。
【本丸西側土塁】
 本丸の西側、大銀杏近くの二の丸に面する部分には高さ2m程の重厚な土塁が残っている。本丸の他の部分には殆ど土塁が残っていないが、削られてしまったのだろうか。
【本丸東側腰曲輪】
 本丸の東側には腰曲輪とも、空堀を挟んだ土塁ともとれるような地形が見られる。この辺りはあまり整備されていないが、一応遊歩道のようになっており、ここから本丸北側に回り込める。
【本丸北側空堀①】
 この城は全周にわたって見事な横堀が巡らされているが、中でも本丸の北側部分は圧巻で、重厚な土塁を挟んだ二重堀の外側に、更にもう一本の土塁を築いて大規模な比高三重土塁になっている。ここまで徹底した横堀もなかなか見られない。本当に支倉氏単独で築いたのか疑問になってくる程の土木工事の規模。

【本丸北側空堀②】
 上記の壮大な二重堀は西側の土塁によって行き止まりになり、一本化されて西側の空堀に繋がっている。西側の空堀から見ると一段低くなっており、落とし穴のように見えなくもない。
【本丸東側】
 本丸の北側空堀から東側に戻る。東側も北側同様、深い空堀の間に土塁が築かれているような造りだが、幅が広すぎて土塁と言うより曲輪のようになっている。実際現地のパンフレットでは曲輪となっている。実際に土塁状に上って確認してみたかったが、切岸が急で上れなかった。未だにしっかりと守りの役割を果たしている事を実感。
【井戸跡】
 本丸東側の堀底に残る井戸跡。案内はあるものの、どこが井戸なのかは良く分からない。場所的に考えても、どちらかというと溜池みたいなものだったのだろうか。
【本丸南側虎口】
 本丸に戻り、本来ルートの南側に設けられた虎口へ。空堀の外側に設けられた土塁上を経由してから折れる技巧的な造りになっている。本来の大手からのルートはここの虎口と思われる。
【本丸南側空堀】
 本丸南側の空堀。ここも二重堀になっているが、遊歩道でざっくりと削られてしまっている感じ。当時はこのまま西側の空堀まで続いていたのだろう。

三の丸跡

【三の丸跡】
 本丸の南側、一段下がった場所に位置する三の丸。上下二段の曲輪になっているが、全体的に削平が甘く、斜面になっている。現在、西側は藪になっている。
【三の丸跡 土塁と空堀】
 少し造りが甘いように見える三の丸でも、南側にはしっかりと土塁と空堀が設けられている。ここの空堀の外側にも丁寧に土塁が築かれている。

三の丸跡~大手

【堀切】
 三の丸から続く南側の尾根が当時の大手筋。この尾根と三の丸との間には、しっかりと堀切の跡が残っている。よく見ると二重掘切っぽい。この掘切を東側に降りていくと、円福寺に至る。
【円福寺】
 城域の南側山麓に位置する円福寺。境内には遣欧使節として有名な支倉常長の墓が建てられている。
【大手道】
 大手道は一部藪化しているが、現在も山麓まで続いている。途中、それっぽい石も転がっており、当時は何らかの建物が建てられていたものと思われる。
【蛇塚八幡】
 大手道を山麓まで下ったところにある蛇塚八幡。本丸の蛇塚伝説と何らかの関わりがあるのだろう。現在は訪れる人もいない感じで、かなり朽ちてしまっている。というか、山麓からの道は完全に藪化して通れなくなってしまっていた。