前川本城
奥州の砂金村の守護だった砂金氏が伊達家の家臣となり、その後8代目の砂金常久によって天正年間に築城されたとされる本格的な中世連郭式山城、城域は東西南北ともに200mに及ぶ大規模なもので、1500石程の砂金氏の動員人数にしては規模が大きすぎる事から、関ヶ原の頃に伊達氏にの拠点として改修された可能性もある。11代の常房が慶長13年(1608)に前川城(川崎要害)を築き移転するまで使用され、移転後は廃城となりその後『本城』と呼ばれるようになったらしい。現在も巨大な二重空堀や技巧的な連続枡型虎口などが残っている。
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二の丸跡
【搦手】 |
本来は大手から登城したいところだが、大手口周辺は民家となっており、場所も良く分からないので、駐車場近くの搦手から登城。空堀の土塁の間を複数回曲がった後に、枡形に至るかなり技巧的な虎口がしっかりと残っている。
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【二の丸空堀】 |
搦手虎口を直上すると二の丸に至るが、枡形部分から東西に二の丸周囲の空堀が続いている。とりあえず、整備されている西側空堀に進むが、ここがいきなりこの城最大の見所でもある巨大な二重堀。深さ10m近い巨大な掘切が連続で掘られ、それぞれの堀の両側に土塁が築かれ、圧巻の比高三重土塁となっている。これはやはり伊達家の一家臣に過ぎない砂金氏が築ける規模では無さそう。伊達家直轄の手が入っていると考えるのが自然に見える。
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【二の丸空堀】 |
上記の空堀の間に設けられている土塁は、一部幅広の部分があり窪みが設けられている。ここに兵を配置出来るようになっていたと思われるが、見ようによっては、三重堀のようにも見えてくる。
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【二の丸空堀堀底】 |
現状では良く整備され、遺構も良好な状態で残っているが、整備で切り倒した木などを堀底に積んでいっているのが非常に気になる。このような木々が朽ちて土に帰り、堀を埋めていってしまう。
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【二の丸跡】 |
本丸の南側~西側を取り巻くように設けられている広大な二の丸。土塁によって東西に分けられているが、整備されている西側部分だけでも数千人は籠もれる広さ。この後に移動する川崎要害と比較しても、やはり規模が大き過ぎる。現在、西側は良く整備され、周囲の土塁も綺麗に残っている。
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【二の丸東側】 |
二の丸は写真左の高さ1m程の土塁によって東西に分けられており、東側半分はあまり整備されていない。
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【二の丸北側】 |
二ノ丸の北側は轟川に至る断崖となっている。上記の二重堀も断崖まで続いており、完全にこの方面を分断している。
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【二の丸東側空堀】 |
二の丸の西側の二重堀が見事なので、そちらに注目しがちだが、あまり整備されていない東側部分にもしっかりと空堀が残っている。またこちら側には比較的珍しい竪土塁や竪堀も見られる。
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【二の丸竪堀】 |
上記の竪土塁の東側には竪堀も綺麗に残っている。ちょうど駐車場の北側にあたる場所で、ここからの直上も可能だった。
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本丸跡
【本丸跡】 |
城域の北側、轟川に面した本丸跡。こちらも東西130m、南北100m程ある広大な曲輪で、二の丸との間には空堀と土塁が残っており、一部に石積みも見られる。大手に至る東側と二の丸に面する南側、西側隅の搦手の三ヶ所に虎口が設けられている。
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【本丸石積】 |
本丸周囲の土塁の一部には、石垣とも言えない石積みの痕跡のような石が見られる。
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【本丸搦手虎口跡】 |
本丸西端には搦手虎口の跡が残っている。空堀と土塁が屈曲し、技巧的な造りになっているので、雰囲気は感じるが、実際にどのような形状の虎口だったのかは正直良く分からない。土塁上に木橋でも架けられていたのだろうか。
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【本丸南側虎口】 |
こちらは本丸の南側に設けられた二の丸との間の虎口。こちらは土塁の開口部で非常に分かりやすい。土塁の外側の空堀には木橋が架けられていたと思われる。
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【本丸東側虎口】 |
そしてこちらが本丸の東側に設けられた大手にあたる虎口。当時はここに本丸大手門が建てられていたのだろう。南側の虎口同様、土塁の外側の空堀には木橋が架けられていたものと思われる。ここから大手に向かって非常に技巧的な馬出しやら連続枡形などが続く。
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【本丸の埋まる空堀】 |
本丸の空堀にも堀底に木や枝が積まれてしまっている。この辺りの堀はこの感じで既にだいぶ埋まってしまっているのだろう。現状この木々を取り払うだけでも、だいぶ見え方が違うと思うのだが。素晴らしい遺構だし、頑張って整備されているだけにけに勿体ない。
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【本丸馬出し】 |
上記の本丸大手の虎口外側には馬出し状の曲輪が設けられている。開口部は後世の改変らしいが、周囲の重厚な土塁がしっかりと残っている。
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大手~本丸
【連続枡形】 |
馬出しの外側には非常に技巧的な造りになっており見方が難しいが、明らかに判別出来ただけでも内枡形っぽいのが二箇所に小曲輪なども見られる。現地の解説板によると、枡形が3つ位連続しているようだがその辺は見方によるかもしれない。いずれにしても、かなり技巧的で見応えのある部分。
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【枡形虎口石垣】 |
枡形虎口に残る野面積みの石垣。本丸土塁にも所々に石積みっぽいものが見られたが、ここの石垣は高さ1m程、幅4~5mにわたってしっかり残っている。本丸の石積みは正直怪しいなと思っていたが、やはり要所要所には石を積んでいたらしい。
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【大手小曲輪】 |
連続枡形の南側には小曲輪が設けられている。伏兵曲輪的な役割のものだろうか。周囲の土塁も小規模ながら良く残っている。
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【大手道】 |
連続枡形を抜け、大手道を通り一応大手口を確認に行ってみる。本当だったらこちらから登城して連続枡形の堅固な守りを堪能したかったところ。
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【大手口】 |
大手道を下ったところが大手口。この先は民家の庭先のようなところなので、やはりこちらからの登城は難しかった。この民家の反対側にも曲輪跡が見つかっているようだが、私有地なので散策は難しそうな雰囲気。
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