利府城
利府城について
この城の歴史は古く、鎌倉時代から留守一族の有力者だった村岡氏の館として使われていたらしい。永禄12年(1569)に留守氏内部で家督相続問題が起き、村岡氏はこの城に籠もって伊達派と戦って滅びた。その後、伊達政宗の叔父にあたる留守政景(伊達政景)が入城し、本拠地として在城したが、天正18年(1590)に小田原不参により改易され、廃城となったと思われる。発掘調査では多数の掘立柱建物跡や陶器などが発掘されている。
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【駐車場】 |
城域北側の車道を突き当たりまで進むと、城域東端の駐車場に至る。この駐車場のすぐ西側が主郭で、駐車場からの比高は7~8m程あり、しっかり切岸加工されているのが分かる。期待が膨らむが、今思えばこの辺りが一番の見所だったかもしれない。
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【主郭虎口】 |
駐車場から登ったところがすぐ主郭。主郭は東西二段に分かれているが、これと言った遺構は見当たらない。東側の虎口付近に一見枡形のような窪みも見られるが、時代的に考えてもそんな技巧的なものではないだろう。
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【主郭~2郭】 |
主郭から2郭の間は特に削平されている様子も無く、自然地形のままといった感じ。一部は完全に森になっており、一城別郭といった感じの造りになっている。
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【2郭】 |
2郭も主郭同様、東西で二段に分かれており、東側が一段高くなっている。いずれも、削平も甘く山なりの地形で、これと言った遺構も見られない。いかにも古い時代の城と言った感じで、結構物足りない。
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