白石城
白石城について
天正19年(1591)に蒲生源左衛門郷成により築かれ、慶長7年(1602)以降は仙台城の支城となった。 代々伊達氏の重臣・片倉氏が居城し、元和元年(1615)の一国一城令後も、例外的に仙台城と共に 存続が認められた。明治維新の際は、奥羽越列藩同盟が結ばれるなど重要な役割を果たし、 明治2年(1869)白石藩知事となった南部氏が城主となり、明治政府の広域行政府が置かれた。
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【復元天守】 |
実質の天守に当たる三階櫓だが、一国一城の例外と言う事で、幕府への遠慮もあってか、 大櫓と呼ばれていた。記録上も天守と書かれた事は一度も無いらしい。現在のものは文政6年 (1823)に再建された大櫓を、木造で忠実に復元したもので、明治維新時に取り払われた 石垣も櫓の復元の際に野面積みで積み直された。 壁は土塗りを何度も繰り返し、漆喰で仕上げられた日本古来の耐火構造で、厚さは 20cm以上ある。また、鯱瓦は彫刻したものを乾燥させ、高温で焼いたもので高さ四尺三寸、 重さ120kg。屋根の最上部の東側に雌、西側に雄がのっている。
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【天守1階】 |
補強金具は使わない昔ながらの製法で建てられており、木材は柱が吉野檜、化粧材は青森ヒバ、山陰地方の松丸太、赤杉とすべて国産材で造られている。北側と西側の石落としや狭間なども 忠実に再現されている。一階から二階への階段の途中には踊り場が設けられている。
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【天守2階】 |
1階から2階への階段、2階から3階への階段にはそれぞれ途中に踊り場が設けられている。
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【天守3階】 |
30畳位の室内の外側には幅1m程の高欄が4周に廻り、火頭形の出入り口がついている。
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【本丸】 |
本丸は北東隅のみが削られた約100m四方の方形で、当時は本丸御殿が建てられていた。 本丸のみ総石垣作りで、北東をのぞく各隅には櫓が建てられていた。明治維新以降石垣は取り払われたが、三階櫓と北側、東側の一部の石垣が復元されている。 訪れた日は、ちょうど本丸で催し物をやっており、かなりの人だかりだった。
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【大手門】 |
大手門は一の門、二の門と、それらに囲まれた細長い枡形により形成されている。 復元された大手門には直径120cm、樹齢1000年以上の檜が用いられているらしい。
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【鐘堂】 |
祝いの日に片倉家の白地黒鐘の大馬じるし、三階黒鳥毛などが建てられたと伝えられる鐘堂。発掘調査の結果、三階櫓の東側に建てられていた事が分かった。
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【本丸井戸】 |
3階櫓東側の本丸井戸。
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【片倉小十郎景綱】 |
白石城と言えば、やはり城主の片倉小十郎景綱が有名。本丸には石碑が建っていた。
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【本丸東側石垣】 |
本丸東側に残る石垣。かつては土手の上端まであったが、明治時代に解体され、現在は基底部しか残っていない。また、南側は野面積みで詰まれているのに対し、北側は加工石が隙間なく積まれている。記録によると、大雨や地震等で度々石垣が崩れ、 修理された箇所らしい。
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【本丸北面】 |
本丸北面は石垣の他、石落としを備えた塀なども復元されている。石垣は野面積みと打ち込み接ぎが 見られるが、復元されたものかは良く分からなかった。
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【本丸南側土塁】 |
本丸南側に残る土塁。本丸は総石垣作りだったので、当時はこの辺りも石垣があったと思われるが、 破城されている為、現在は残っていない。土塁の東隅に辰巳櫓、中程に裏御門がある。
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【辰巳櫓跡】 |
本丸の南東隅に位置する辰巳櫓の跡。わずかに石垣が残っている。
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【裏御門跡】 |
本丸の南側の裏御門。当時は枡形になっていたようだが、現在ではその形状は 良く分からない。当時は二の丸があったこの門の外側は、現在はすぐ高校の敷地になっている。
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【本丸西側土塁】 |
本丸西側の土塁。西側にも現在は石垣は残っていない。南側には未申櫓の櫓台が残っている。
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【二の丸】 |
古図によると、本丸の周囲が二の丸となっており輪郭式に見えるが、実際に居住性のある 曲輪となっているのは東側の部分。現在は公園となっている。
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【二の丸土塁】 |
二の丸周囲の土塁。白石城は、本丸のみが総石垣だったらしいが、それ以外は土塁で造られていた。
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【二の丸西虎口】 |
二の丸西側の虎口。この虎口の外側は中の丸につながっている。
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【二の丸井戸】 |
本丸の北側にある井戸。この辺りも一応二の丸なので、二の丸井戸と呼ばれている。
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【二ノ丸大手二ノ門】 |
大手は城の東側で、奥州街道沿いの大手口から外曲輪、三の丸を通り二ノ丸大手二ノ門に至った。現在は残っていないが、本丸の東側に二ノ丸大手二ノ門は位置し、東口門とも呼ばれていた。 片倉家の屏風絵によると、二階に横幅のある格子窓があり、その両側には狭間も備えられた 堅固な作りだった。明治7年(1874)の白石城解体の際に専念寺に売却され、その後、当信寺山門 として移築されている。
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【二ノ丸大手二ノ門】 |
こちらが移築先の専念寺の移築門。
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【馬場】 |
本丸の西側、二の丸との間には馬場があったと言われている。
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【中の丸】 |
二の丸の外側を守る中の丸。現在はあまり整備されておらず、藪に覆われている。
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