【多賀城跡】 |
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【政庁】 |
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多賀城の中央に位置し、陸奥国府の重要な政務や儀式が執り行われていたところ。 約100m四方の周囲は築地塀で囲まれ、その中心に正殿、東西に脇殿が配されていた。 |
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【政庁正殿跡】 |
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政庁で中心的な建物。礎石式の四面廂付建物で、南側には石敷広場があった。 現在は基壇のみが復元されている。 |
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【石敷広場跡】 |
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正殿正面の南側の石敷広場の跡。細かい石が敷き詰められている。 |
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【政庁後殿跡】 |
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【政庁南門跡】 |
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【政庁東殿、西殿跡】 |
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【政庁脇殿跡】 |
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正殿の東西に配置されていた脇殿。基壇のみが復元されている。 |
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【政庁-南門間通路跡】 |
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多賀城の中枢部である政庁から外郭南門へ南北に通じる道路で、多賀城の中心的な道路だった。 発掘調査の結果、幅が12mから23mに拡幅されていた事が分かった。政庁南側斜面には、 自然石を並べた階段が設けられ、排水用の暗渠も設置されていた。現在は拡張される前の 8世紀頃の状態に復元整備されている。 |
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【南門跡】 |
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外郭南辺のほぼ中央に位置する門で、政庁正面からの道路が延びた多賀城の正面に位置し、 他の外郭門に比べてひときわ立派だったと考えられている。この門の両側には築地塀が 接続されていた。 |
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【多賀城碑】 |
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【六月坂地区】 |
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政庁から北へ300mの位置にあり、行政的な仕事をする場所だったと考えられている。 平安時代には、桁行7間×梁間4間の四面廂付建物や、複数の掘っ立て柱建物が並んでいた。 これらのすぐ北側には外郭東門から西門間の道路も通っており、交通の要衝でもあった。 |
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【六月坂地区 道路跡】 |
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建物跡の北側に残る道路跡。当時は外郭東門から西門まで通じていた。 |
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【六月坂地区 多賀神社】 |
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【平安時代の石敷道路】 |
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【竪穴】 |
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【大畑地区】 |
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【北門跡】 |
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大畑地区の役所の北側に位置する門で、門の両側には丸太材を立て並べた 材木塀が作られていた。現在は、門の柱や塀の一部が復元されている。 |
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【奈良時代の外郭東門跡】 |
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外郭の東辺北寄りに位置する門で、多賀城と国府の津(塩釜港)を結ぶ最も賑わった門だった。 奈良時代にはこの場所に門が建てられたが、平安時代になると約80m西に移されるなど、 何度か移り変わっている。現在は推定復元された柱が60cmの高さまで表示されている。 |
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【平安時代の外郭東門跡】 |
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平安時代の東門は、正面9.4m、奥行5.5mの瓦葺きの八脚門だった。はじめは掘立柱で建てられ、 後に礎石で作り直された。門の両側には櫓が建ち、築地塀によって囲まれていた。 |
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【平安時代の外郭東門櫓台跡】 |
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東門の前面には、瓦葺きの櫓台が南北対象に建てられていた。現在はその櫓台が復元されている。 |
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【北東隅築地塀跡】 |
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【東側築地塀跡】 |
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【柱跡】 |
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【佐貫地区】 |
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【佐貫地区 土塁】 |
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【佐貫地区 北側空堀】 |
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【外郭東南隅 あやめ園】 |
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【南辺築地塀跡】 |
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【館前遺跡】 |
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【廃寺】 |
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【廃寺 講堂跡】 |
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廃寺の主要な建物の一つで、凝灰岩の基壇の上に柱の礎石を置いて造られている。 この講堂の両脇からの築地塀で囲われたエリアに塔と金堂が建つ伽藍配置になっている。 |
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【廃寺 築地塀跡】 |
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北の講堂と南の中門との間を囲む築地塀の跡、低い土塁で当時の塀の跡が分かるようになっている。 |
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【廃寺 塔跡】 |
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伽藍の東側に配置された塔の跡。当時はこの土壇の上に三重の塔が建てられていたらしい。 |
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【廃寺 金堂跡】 |
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伽藍の西側に配置された金堂跡。講堂、塔と同じく、金堂も凝灰岩の基壇の上に 柱の礎石を置いて造られていた。 |
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【廃寺 中門跡】 |
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【廃寺 僧房跡】 |
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講堂の北側に位置する僧坊跡。 |
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【多賀神社】 |
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【今野家住宅】 |
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東北歴史博物館には、江戸時代に村の責任者である肝入を代々つとめた今野家を移築し、 建築された当時の姿に復元展示されている。母屋は明和六年(1769)に建てられたもので、 建坪は72坪ある立派な屋敷。宮城県の有形文化財に指定されている。 |
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【駅前】 |
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