Japanese Castle

若林城

若林城について

 伊達政宗の晩年の居城として寛永5年(1628)に築かれた近世城郭。当時仙台藩には仙台城があったが、城では無く、『仙台屋敷』と言う事で願い出て、当時の老中土井利勝に許可されている。とは言え、幕府も内実は城である事は分かっていたらしい。政宗が移った後、この城を中心に街造りも行われたため、現在の仙台は、仙台城を中心とする道筋と若林城を中心とする道筋でズレが生じている。築城から10年経たずに政宗が死去し、その後は廃城となったが、薬園などに利用され仙台藩によって保存されており、政宗が朝鮮出兵の際に持ち帰ったとされる朝鮮ウメも残っているらしい。明治期以降は宮城刑務所となり現在に至っている。その為、城内を見たかったら犯罪を犯して収監されるしか無さそう。
【土塁】
 明治期から刑務所となっている事が幸いしたのか、東西約400m、南北約350mに渡る周囲の土塁はほぼ全周にわたってて良く残っている。外敵が進入しないように造られた堀と土塁は、逆に逃亡させない為の刑務所には向いているのかもしれない。城内を見学できないのは残念ではあるが・・・
【東側虎口】
 東側に残る虎口跡。虎口の位置も古絵図と変わっていない。古絵図によると、この門の内側は枡形となっていたようだが、塀の中なので確認は出来ない。
【南側堀跡】
 南側の堀跡。幅20m~30m程ある規模の大きな堀で、今は水は無いが、古絵図によると水堀だったよう。正面は古絵図にも見られる、南辺中央部の張出し部分。