林大城
甲斐源氏の庶流であり信濃守護の名族、小笠原氏の本拠城。当初、小笠原氏は府中の井川館を本拠としていたが、家督相続などの不安定要素から要害の地に城を移す必要性が生じ、長禄3年(1459)頃、13代清宗によって築かれたのが林城の始まりとされている。この大城と西側の小城、それらの間に挟まれた大嵩崎の居館のセットで5代約90年間にわたり小笠原氏の本拠として機能していたものと思われる。天文19年(1550)に武田信玄の信濃侵攻により、イヌイの城(埴原城?)が落とされると、林城も戦う事なく自落。その後武田氏は深志城を拠点としたため、林城はそのまま廃城となったとみられる。現在は国の史跡に指定されており、発掘調査も続けられている。
|
登城路
【登城路】 |
登城路は幾つかあるようだが、城域東側の橋倉集落からなら主郭部まで車で行けるとの事だったので、そのルートを採用してみる。しかし、実際に行ってみると写真のよう車道。大切なハイエース号を進軍させる気にはとてもなれずに、山麓に停めて登城する。
|
主要部
【連続堀切】 |
上記の車道を歩いて進むと、左側に見えてくる圧巻の連続掘切!三本の掘切が明瞭に残っている。車道により、一部改変されてしまっているが、この掘切は竪堀となって山麓まで続いている。間違いなく、ここが最初にしてこの城最大の見所。
|
【2郭腰郭】 |
そのまま登城路を登り切った場所が2郭北側の腰郭部分。頑張ればここまで車で来れる。実際に車が一台停まっていたが、発掘作業の方々だった。確かに自分の車でなければ、ここまで来れるな。
|
【2郭】 |
上記の腰曲輪から一段南に上がった部分が2郭。現在東屋が建てられている場所で、周囲は草に覆われていて、境界が判然としないものの、かなりの広さがある。虎口部分の石段は趣があるが、当時の遺構かはよく分からない。周囲に土塁などは見られない。
|
【2郭~主郭】 |
2郭から主郭へは、一段上がった馬出し状の平場を経由する。その両側には空堀が掘られており、中央部が土橋状になっている。空堀は藪になっており、いまいち形状が分かりにくい。
|
【主郭】 |
尾根上の山頂部、標高846mの場所に位置する主郭。西側以外の部分には土塁が残り、東側の一部には石垣も残っている。小笠原氏の本城らしく、山上の郭としてはかなりの広さがある。
|
【主郭に残る礎石】 |
主郭内には柱穴が開けられた礎石が幾つか残っている。比較的新しいもののようにも見える上、サイズもそこそこなので、後世に社みたいなものが建てられていただけかもしれない。詳細不明。
|
【主郭北側】 |
主郭の北側には土塁が築かれており、その外側には数段に渡って腰曲輪が設けられている。下草が多く写真だと伝わりにくいが、それなりにしっかり残っている。
|
【主郭東側】 |
主郭の東側に残る土塁と石垣。現在、この城で見られるしっかりした石垣はこの部分みだが、当時は主郭全周にわたって築かれていたのかもしれない。
|
【主郭東側腰郭】 |
主郭の東側に数段にわたって設けられている腰郭。この先の尾根筋にも掘切が連続しているようだが、草が多くて断念。大嵩崎集落を経由して林小城まで至る道が続いている。
|
【発掘中】 |
訪れた時はちょうど発掘している最中で、あちこちにトレンチが開けられていた。流石は国指定史跡。
|
【姫の化粧水井戸】 |
主郭部の東側、少し下ったところにある小さな井戸。おしゃれな名前で呼ばれているが、何の根拠もないらしい。自噴の井戸ではなく、橋倉集落を挟んだ東側の水番城付近から取水して引水した水を溜めた井戸らしい。だとすると、すごい技術力。と同時に水番城の名前にも納得。ちなみに、この井戸のすぐ東側が最初に見た三重掘切。
|
大手
【大手】 |
今度は西側の大手方面へ。結局車で登って来られないなら、大手から来れば良かったと思いつつ、大手方面を下るが、結構な藪で遺構は殆ど確認出来ない状態。地形的にかなりの居住性があった雰囲気は感じられる。草が無い時期に来れば、だいぶ印象が変わったのだろう。国指定史跡なんだし、もう少し草刈りしてあると嬉しいな。
|
その他のエリア
【大嵩崎】 |
大城と小城に囲まれた大嵩崎集落。当時はこの辺りに居館が建てられており、これらが一体となって小笠原氏の本拠として機能していたものと思われる。現在も発掘調査が続けられているっぽい。
|
【山麓の街並み】 |
大嵩崎集落北側山麓の街並み。今も城下の雰囲気が残っている。
|