犬甘城
犬甘城について
信濃守護小笠原氏に仕えた犬甘氏によって築かれたと言われており、眼下に1.5km先の松本城が見下ろせる。
天文19年(1550)の武田信玄による信濃侵攻の際に、馬場信房の計略で乗っ取られたという言い伝えが残っている。
その後、廃城となったと思われるが、江戸時代に公園として庶民に解放されている。
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【松本城】 |
直線距離で1.5km、比高100m程の松本城を眼下に見ることが出来る。松本城の防衛的には重要な位置だった事だろう。
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【城山公園】 |
天保14年(1843)に公園として解放され、現在も城跡を含む東側一帯が城山公園となっているが、かなりなだらかな斜面が続く。
要害とは言い難く、この辺りから攻められたらひとたまりもなさそう。
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【北側堀切】 |
駐車場から城址に向かうと、最初見えるのが北側の堀切。東側はユルユルな斜面だが、北側はしっかりと守っている。
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【一ノ郭 北側】 |
一ノ郭の北側には、土橋で結ばれた小郭が接続している。馬出にしては小さいような気がする。どういった役割だったのだろう?
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【一ノ郭】 |
連郭式の城跡の最北部に位置する一ノ郭。南北に細長い郭で、西側は崖になっている。
東側以外はそこそこ要害になっているんだけどな。ここから南に郭が続く。
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【二ノ郭】 |
一ノ郭の南側、一段下がったところにある二ノ郭。一ノ郭との高低差は2m程。一応削平はされているものの、
虎口や土塁などは見られず、比較的古い時代の城といった印象。
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【二ノ郭~四ノ郭 堀切】 |
二ノ郭の南側、四ノ郭との間の堀切。深さ5~6m程の掘切が明瞭に残っており、一番遺構らしい遺構。
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【三ノ郭】 |
一ノ郭、二ノ郭の東側の腰曲輪のような三ノ郭。一応、ここで緩斜面が続く東側を守っていたのだろうか。
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【四ノ郭】 |
二ノ郭と掘切を挟んだ南側に位置する四ノ郭。この辺りは削平自体も甘く、どこまでが当時の遺構かは分からない状態。
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【堀跡】 |
四ノ郭の東側の現在花壇となっている場所は、当時は堀だったと思われる。
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【芭蕉句碑】 |
上記の花壇近くにある芭蕉句碑。公園化が早かったせいか、たくさんの歌碑がある。
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【城山稲荷神社】 |
城域の南側、現在城山稲荷神社のある辺りも当時は郭だったと思われるが、これと言った遺構は見当たらない。
なお、この稲荷神社は松本藩四代藩主の松平直政により建てられたもので、松江に転封された際に分祀し、松江神社となっている。
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