松本城 二の丸跡
松本城 二の丸跡
【太鼓門】 |
松本城で大手門に次ぐ規模の枡形門である二の丸太鼓門。文禄5年(1595)頃に建てられたが、明治期になって取り壊された。
江戸時代の正確な絵図を元に、平成になって枡形を構成する一の門(櫓門)と二の門(高麗門)、周囲の土塀が復元された。
|
【太鼓門 玄蕃石】 |
太鼓門の石垣に使われている巨大な『玄蕃石』。どうやって計っているのかは分からないが、22.5トンもあるらしい。
|
【太鼓門内部】 |
城下に残っていた正徳年代(1711~1715)に描かれたと推定されている『信州松本城図』を元に復元されており、
内部は見事な木組みが見られる。
|
【太鼓門 礎石】 |
太鼓門横に残る門の礎石。明治期に城下の飯森家がもらい受けたが、昭和48年に寄贈されたもの。
しかし、こんな礎石をもらい受けて何に使っていたのだろう?
|
【二の丸御殿跡】 |
二の丸の東側を占める二の丸御殿跡。当初は副藩庁として建てられたが、本丸御殿の焼失後は藩庁として利用された。
明治に入っても県庁舎として用いられたが、明治9年(1868)に消失した。現在は平面展示されている。
|
【丑寅櫓跡】 |
二の丸の北東隅に位置する丑寅櫓跡。現在は櫓台の土塁のみが整備されている。
|
【土蔵】 |
二の丸の西側に建てられた土蔵で、御金蔵として使用されていた。慶応3年(1867)に建てられたものらしいので、
ギリギリ現存と言って良さそう。
|
【北側虎口】 |
二の丸北側虎口。現在、北側の三の丸との間には木橋が架けられているが、古絵図によると、当時からここは木橋だったらしい。
|
【博物館】 |
二の丸の南東に建てられた博物館。当時はこの辺りに藩主の私邸だった古山地御殿が建てられていた。
博物館も良いが、こんな大きな建物を建ててしまったら、御殿の遺構などはもう残っていないんだろうな・・・
|
【二の丸南側】 |
二の丸は、本丸を取り囲むように南側から西側まで馬蹄形に続いている。南側には当時は蔵が並んでいた。
|
【二の丸西側】 |
二の丸の西側は八千俵蔵と呼ばれる蔵や煙硝蔵が建てられていた。当時はこの西側に外堀が掘られていたが、
現在は埋め立てられて道路になっている。
|
【若宮曲輪】 |
二の丸の北西、三の丸との虎口付近には現在若宮八幡となっている若宮曲輪が設けられていた。
かなり小さめの曲輪だが、馬出しのような役割をしていたものと思われる。
|
【二の丸周囲の堀】 |
二の丸周囲の外堀。東側と南側は残っているが、西側は埋められてしまっている。
|