松本城 現存天守
現存天守
【現存天守】 |
戦国末期に建てられた天守・乾小天守・渡櫓と平和な江戸期になってから建てられた月見櫓と辰巳附櫓からなる
連結複合式の現存天守で、それぞれ趣が異なる。現在は国宝に指定されている。
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【天守一階】 |
五層六回の天守一階内部。周囲には幅1間で、内部より50cm低くなった武者走りが見られる。
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【天守一階 石落とし】 |
天守一階に残る石落とし。天守の四隅の他、1階の中央や乾小天守・渡櫓にも石落が設けられており、
他に比べてその数が多く、全部で11ヶ所残っている。
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【天守一階 壁】 |
昭和の修理の際に保存された創建当時の二階の壁の一部が展示されていた。
一階、二階の壁の厚さは30cm近くあり、上層階に行くほど薄くなっていくが、火縄銃の弾は通さないらしい。
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【天守二階】 |
天守二階は現在『松本城鉄砲蔵』として多くの火縄銃などが展示されている。また、周囲は武者窓が並んでいる。
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【天守三階】 |
天守三階。二重になった屋根の裏に設けらた階なので、窓がなく、僅かに南側千鳥破風の木連格子から光が入るのみ。
そのため当時は「暗闇重」と呼ばれており、倉庫として使われていた。階段は対角線の位置に2箇所ある。
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【天守四階】 |
天守四階は、三階までとは異なり、柱が少なく天井が高い上、四方から外光が入り明るく広々としている。
柱、鴨居、長押などはすべて鉋仕上げで、鴨居の上には小壁もあり居室風になっている。
有事の際、六階とともに城主の座所に当てられた場所と考えられる。
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【天守四階 御座所】 |
天守四階の御座所。三間×三間程の部屋で、城主が天守に入った際はここに居たと考えられており、
他と比べると結構豪華な造りになっている。
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【天守五階】 |
天守五階。中央に三間×三間の大広間に、四方に千鳥破風の窓を設けてある。有事の際には重臣達が籠もり、
作戦を立てる為の部屋だったと言われているが、城主より高い階に居るものなのか。
ちなみに、この階の柱30本は全て創建当時のものらしく、明治期の修理の痕跡なども残っているらしい。
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【天守六階】 |
天守の最上階にあたる六階。三間の一部屋で畳を敷く事が出来るように造られており、
四階とともに有事の際の城主用の間と考えられる。少し狭いが、やはり城主は四階よりも最上階の方がしっくりとくる感じがある。
天井には桔木構造と呼ばれる、太い桔木が外側に向かって放射状に配置された見事な木組みが見られる。
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【二十六夜神】 |
天井の木組みの間に見られる二十六夜神。元和3年(1617)に松本に入封した戸田氏がまつったとされている。
月齢26日の月を拝む信仰で、関東地方に盛んだった月待信仰らしい。
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乾小天守・渡櫓
【渡櫓】 |
天守と北側の乾小天守とを結ぶ渡櫓。二階建ての櫓で地下一階もある。しかしこの櫓、接続のための櫓なのに、
天守との接続がかなり悪く、かなりの高低差があってちょっと不思議な感じ。もう少しバリアフリーに出来なかったかな?
ちなみに、乾櫓との接続は問題ない。昭和の修理で取り替えられた鬼瓦や和釘などが展示されている。
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【乾小天守】 |
天守と渡櫓で連結された三重四階の乾小天守。天守のほぼ真北に位置するが、北は当時嫌われる方角だったので、
『乾』(北西方向)と言う事になっているらしい。
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【乾小天守 一階~三階】 |
天守と乾小天守はまだ戦のあった時期に築かれているため実践的で、多くの狭間や石落としが見られる。
また、天守は角材を用いているのに対し、こちらは丸材を用いて建てられている。
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【乾小天守四階】 |
乾櫓の最上階にあたる四階には、格調高い花頭窓が設けられている。花頭窓はここの他に、辰巳付櫓にも設けられている。
また天井部には、天守同様桔木構造が見られる。
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月見櫓・辰巳付櫓
【月見櫓】 |
徳川家光は寛永11年(1634)に上洛し、その帰りに松本城に寄る事となったため、
急遽その前年から当時の城主だった松平直政によって増築された櫓。天守や乾小天守とは違い、
平和な時代になってから建てられたものである為、開放的な造りが印象的。
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【月見櫓内部】 |
月見櫓の内部。朱塗りの回縁や三方吹き抜けになるなど、確かに防御的なことは一切考えられていない感じの平和な造り。
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【辰巳付櫓内部】 |
天守の南東(辰巳)に接続し、月見櫓との間にある辰巳付櫓。月見櫓と同時期に増築された付櫓。
二階には花頭窓が設けられている。なお、花頭窓はここの他、乾小天守の四階にも設けられている。
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