村井城
築城時期は定かでは無いが、この一帯を治めていた埴原氏の一族、村井氏の居館だった場所とされる。天文17年(1548)の武田信玄の侵攻の際、村井氏は小笠原氏に属しており、侵攻に備えて防衛拠点として整備したと思われるが、塩尻峠の合戦で小笠原氏は大敗し村井氏は滅亡した。その後、武田信玄の小笠原攻めの最前線の拠点として整備され、天文19年(1550)にはこの城を拠点に東に僅か数kmのイヌイの城(埴原城)を攻め落とされた。これをきっかけに小笠原氏の本拠である林城を含めた5つの城の自落に繋がる。この一帯が武田の支配下となった後は、安曇野侵攻の中継地点として使用された可能性もあるが、記録には残っていない為、役割を終えて自然と廃城になったものと思われる。現在は街中のアパートの一角に案内板が建てられているのみで、遺構は煙滅している。
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