高島城



【高島城】
image-1  天正18年(1590)、豊臣秀吉の家臣、日根野氏によって設計され、慶長3年(1598)に完成した。 現在は諏訪湖岸からは1Km程離れているが、築城当時は諏訪湖の波が城の石垣に迫り、 『諏訪の浮城』 と呼ばれていた。また、諏訪湖の他にも河川がめぐり堀の役目を果たしていた。 慶長6年(1601)初代藩主諏訪頼水から10代藩主諏訪忠礼至る270年の間、諏訪氏の居城となった。 明治8年(1875)に廃藩置県により天守閣は撤去され、翌年に高島公園として一般に開放された。 現在は、天守閣の他、櫓、門、塀などが復元されている。


【復元天守】
image-1 image-1 image-1
 本丸北西に位置する三層の天守。明治八年に破却されたが、昭和45年に 旧観を踏襲して復元された。


【小天守台】
image-1 image-1 image-1
 天守台に隣接する位置に小天守台が残っているが、こちらは復元されていない。


【冠木門と冠木橋】
image-1 image-1 image-1
 本丸北側の大手にあたる門。冠木門と呼ばれているが、当時の絵図によると 楼門あるいは高麗門が建てられていた。当初は冠木門だったものが後に立て替えられ、 名称のみが残ったものと考えられている。天守や角櫓などと共に、昭和45年 (1970)に復元された。


【角櫓】
image-1 image-1  本丸の北東に建てられていた二重櫓。天守や冠木門などと共に、昭和45年に復元された。


【復元長塀】
image-1  天守や角櫓などと共に、昭和45年に復元された長塀。北東の角櫓の周辺に復元されているが、 絵図によると、この辺りは塀ではなく、多門櫓が建てられていた。


【本丸御殿跡】
image-1  本丸内にはかつては本丸御殿が建てられており、表、奥の他、能舞台も備えられていた。 現在本丸内は高島城址公園となっており、庭園として整備されている。

【石枡】
image-1  享和3年(1803)第七代藩主忠粛の頃、三の丸の浴場に湯をひく為に使われた石枡が、 現在も本丸内に残されている。この石枡に木樋を継いで集湯・配湯をしていた。

【諏訪護国神社】
image-1  本丸の南側に建てられた諏訪護国神社。古絵図によると、この辺りには当時は氷餅部屋が建てられていた。


【東側石垣】
image-1 image-1 image-1
 本丸の北側と東側は高さのある石垣が残っている。中程の石垣がせり出した部分には、 持方月櫓が建てられていた。また、この辺りの地盤は軟弱なので、沈下しないよう大木で 組んだ筏の上に石垣を積まれているらしい。確か松本城も同じ造りだったような。


【西側石垣】
image-1  現在は諏訪湖から1km程離れているが、当時は城の西側が諏訪湖と面して外堀の役目を 担っていた事もあり、この方角の石垣は比較的小規模。


【三の丸御殿裏門】
image-1 image-1 image-1
 本丸の西側には、御川渡御門(御川御門)と呼ばれた門があり、当時はこの門の外が 諏訪湖の船着き場となっていた。現在は、三之丸御殿の裏門が移築されている。


【公園入口】
image-1 image-1  天守の南側には、一見埋門のような形状の入口があるが、これは公園化に伴い作られた ものと思われる。


【土戸門跡】
image-1 image-1  本丸の東南隅にあった勝手口にあたる。ここから物を納めたほか、商人や職人達も ここから出入りした。また、役所の用件でも、冠木門から入る資格を与えられてない者は ここから出入りしていた。


【冬の高島城】
image-1  冬の高島城は、水堀が完全に凍っていた。