【復元天守】 |
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本丸北西に位置する三層の天守。明治八年に破却されたが、昭和45年に 旧観を踏襲して復元された。 |
【小天守台】 |
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天守台に隣接する位置に小天守台が残っているが、こちらは復元されていない。 |
【冠木門と冠木橋】 |
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本丸北側の大手にあたる門。冠木門と呼ばれているが、当時の絵図によると 楼門あるいは高麗門が建てられていた。当初は冠木門だったものが後に立て替えられ、 名称のみが残ったものと考えられている。天守や角櫓などと共に、昭和45年 (1970)に復元された。 |
【角櫓】 |
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本丸の北東に建てられていた二重櫓。天守や冠木門などと共に、昭和45年に復元された。 |
【復元長塀】 |
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天守や角櫓などと共に、昭和45年に復元された長塀。北東の角櫓の周辺に復元されているが、 絵図によると、この辺りは塀ではなく、多門櫓が建てられていた。 |
【本丸御殿跡】 |
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本丸内にはかつては本丸御殿が建てられており、表、奥の他、能舞台も備えられていた。 現在本丸内は高島城址公園となっており、庭園として整備されている。 |
【石枡】 |
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享和3年(1803)第七代藩主忠粛の頃、三の丸の浴場に湯をひく為に使われた石枡が、 現在も本丸内に残されている。この石枡に木樋を継いで集湯・配湯をしていた。 |
【諏訪護国神社】 |
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本丸の南側に建てられた諏訪護国神社。古絵図によると、この辺りには当時は氷餅部屋が建てられていた。 |
【東側石垣】 |
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本丸の北側と東側は高さのある石垣が残っている。中程の石垣がせり出した部分には、 持方月櫓が建てられていた。また、この辺りの地盤は軟弱なので、沈下しないよう大木で 組んだ筏の上に石垣を積まれているらしい。確か松本城も同じ造りだったような。 |
【西側石垣】 |
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現在は諏訪湖から1km程離れているが、当時は城の西側が諏訪湖と面して外堀の役目を 担っていた事もあり、この方角の石垣は比較的小規模。 |
【三の丸御殿裏門】 |
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本丸の西側には、御川渡御門(御川御門)と呼ばれた門があり、当時はこの門の外が 諏訪湖の船着き場となっていた。現在は、三之丸御殿の裏門が移築されている。 |
【公園入口】 |
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天守の南側には、一見埋門のような形状の入口があるが、これは公園化に伴い作られた ものと思われる。 |
【土戸門跡】 |
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本丸の東南隅にあった勝手口にあたる。ここから物を納めたほか、商人や職人達も ここから出入りした。また、役所の用件でも、冠木門から入る資格を与えられてない者は ここから出入りしていた。 |
【冬の高島城】 |
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冬の高島城は、水堀が完全に凍っていた。 |