Japanese Castle

高取城 天守台・本丸

天守台・本丸

【天守台】
 本丸の北西隅に築かれている天守台。城内で最も高い12mの見事な石垣が残っており、明治初年まではこの石垣上に三重の天守が建てられていた。本丸内部から見ると、南側に入口があり、穴蔵となっていた地下一階から入る造りだった事が分かる。

【石碑】
 天守台下には『高取城址』の石碑と、有名な詩『巽高取 雪かとみれば 雪でござらぬ 土佐の城』を詠んだ石碑が建てられている。
【上ノ門礎石】
 本丸馬出と本丸周囲の帯曲輪との間は、下ノ門と上ノ門と呼ばれる二つの門で仕切られており、天守台下には上ノ門のものと思われる礎石が残っている。
【本丸帯曲輪】
 本丸は天守台のある上の段と周囲の帯曲輪的な下の段とに分かれている。最上部を本丸として下段を帯曲輪とする見方もあれば、下段を本丸として、最上部を天守曲輪とする見方もありそう。ここではとりあえず上段を本丸、下段を帯曲輪と言う事で。帯曲輪の北側も弧を描いた見事な石垣。感心していると、ユルい感じの本丸案内が見えてくる。
【十方櫓跡】
 本丸帯曲輪北隅に設けられた十方櫓跡。穴蔵を伴う櫓台が良く残っているが、穴蔵の出口が外側に面した崖。どういう造りになっていたのだろう?階段でも設けられていたのかな?
【本丸北側虎口】
 本丸周囲の帯曲輪から本丸へと至る虎口は北側の一ヶ所にのみ設けられている。何度曲げられたか分からなくなる迷路のような造り。すぐ横には具足櫓が建てられ、虎口を守っていた。

【本丸跡】
 標高584mの高取山の山頂に築かれた本丸跡。北西隅と南西隅に三層三階の天守と小天守が建てられていた他、北東隅に鉛櫓、南東隅に煙硝櫓が設けられ、それらの櫓を多門櫓で連結する堅固な造りだった。現在も周囲に多門櫓の跡が残っている
【井戸跡】
 本丸内の東側にある井戸跡。案内板もなく、一見ただの大きな穴なので遺構かどうか判別出来なかったが、古絵図にも載っていたので、井戸跡で間違いなさそう。しかし、ここは標高584mの山の山頂。どれくらい掘れば水が出るのだろう?
【改修された石垣】

 本丸周囲の石垣には、至る所に改修の跡が見られる。高取城は常普請という特例を許された城だったため、江戸時代を通じて改修を繰り返していたものと思われる。おかげで現在見られる見事な石垣が残っているのだろう。
【本丸南側】

 本丸の南側も高さ7~8m程の弧を描く見事な石垣が続いている。この石垣上にも当時は漆喰で塗られた多門櫓が建てられていた。訪れたのがちょうど紅葉の時期と重なってしまい、多くのハイキング客が眺めの良いこの石垣上で並んで弁当を食べていた。これが彼らの定番コースらしい。しかし、城を守る城兵に見えてちょっと面白い。
【鹿の糞】
 本丸近くにあったちょっと新鮮っぽい鹿の糞。今回は上記の理由により人が多く、動物などは全く見られなかったが、本来ここは標高584mの山。普段は鹿などが普通にいるのだろう。