高取城 二の丸・本丸馬出
二の丸・本丸馬出
【二の丸下段】 |
二の丸は南北二段になっており、大手門を抜けた曲輪が北側の下の段にあたる場所で、正面には正面には南側の上段の石垣が迫っている。厳重な大手門をやっとの事で突破しても、この石垣上の多門櫓から攻撃される一筋縄ではいかない堅固な造り。また、大手門に面する北側の石垣もかなりの高さで威圧感が半端ない。
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【二の丸石垣】 |
二の丸の北側と南側とを隔てる石垣。高さ7~8mの高石垣が続き、この上の多門櫓から、大手門を牽制していた。訪れたのが台風後と言う事もあり、一部木が倒れたりしていたが、見事な石垣が残っている。
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【虎口】 |
上記石垣の中程に設けられた虎口。ここを通り二の丸の南側上段に至る。古絵図によると、櫓門が建てられていたと思われる。
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【二の丸】 |
二の丸の上段にあたる南側部分。60m四方程ある城内で最も広い曲輪で、寛永9年に(1642)に山麓に移動するまでの間、ここに藩主の屋敷が建てられていた。周囲には櫓台も見られる。
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【本丸馬出】 |
二の丸の東側、本丸に至る途中には、本丸から西側に突き出した馬出しのような曲輪が設けられており、その曲輪と二の丸が面する石垣上には北端と南端に二層二階の太鼓櫓と新櫓が建てられており、それらの間を多聞櫓が繋ぐ厳重な造りになっていた。現在も高さ5m~6m程の見事な石垣が残っている。
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【本丸馬出北側虎口】 |
二の丸から本丸に至るには、馬出北側の太鼓櫓下の仕切り門を抜け、そこから馬出し北側に設けられた櫓門に至る厳重な造りとなっていた。馬出しの虎口跡は勿論、仕切り門の石垣もしっかり残っている。
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【本丸馬出南側虎口】 |
馬出の南側に設けられた虎口。小規模ながら右に折れる内枡形のような構造になっており、門の横には新櫓が建てられていた。枡形形状にはなっているが、埋門のような感じだったのだろう。
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【七ッ井戸】 |
本丸馬出南側虎口から南に下ると、七ッ井戸と呼ばれる井戸群に至る。実際に7ヶ所あったかはともかく、現在も急傾の斜面の中腹にいくつかの井戸跡が見られる。この辺りから見上げる石垣も見事。現在はこの下まで車で来れてしまうが、当時は搦手として使われていたかもしれない。
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