村上城



【村上城】
image-1  16世紀初頭に国人領主の本庄氏の居城として建てられ、戦国期は本庄氏三代の本拠となっていた。 慶長3年(1598)に国替えで入城した村上頼勝により大改築され、その後元和4年(1618)に入封した 堀直竒により近代的な城郭へと造り替えられた。さらに、慶安2年(1649)に入封した松平直矩によって 大改築され、現存する総石垣の多くはこの時積み替えられたものと考えられる。 山腹には戦国期の遺構も残り、中世と近世両方の遺構を併せ持つ貴重な史跡として、 国の指定史跡となっている。


【一文字門跡】
image-1 image-1  山頂の城郭へと続く大手道の麓の門で、高い石垣が二重の枡形を構成し、正面の深い堀には 跳ね橋が架けられた厳重な構造だったらしい。現在は残念ながら石垣の一部が残っているのみ。


【城主居館跡】
image-1 image-1  一文字門跡のすぐ横にある城主の居館跡。当時は3層の隅櫓と塀で繋がれた 3基の2重櫓が建ち並んでいたらしい。現在は公園になっている。


【七曲り道】
 一文字門から山頂の城郭までの大手道にあたる七曲り道。複数回折れ曲がり比較的緩やかな道だが、 その分結構距離がある。この道の横には竪堀もあるらしいが、草木に覆われて確認できなかった。
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【四ッ門跡】
 七曲り道を登ったところにある門で、七曲がり道の他、二ノ丸側、三ノ丸側、井戸方面へと 4つの門がある特殊な形状をしていた。当時はこの石垣に囲まれた部分を覆うように櫓門が 建てられていたらしく、礎石も残っている。
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【三ノ丸跡】
 山頂部で最も広い曲輪。周囲を石垣で囲まれ櫓台なども残っているが、訪れたのが夏という事もあり、 多くの部分が藪に覆われていた。
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【籾櫓跡】
 三ノ丸北隅に位置する籾櫓跡。この辺りも藪で確認しにくいが、石垣がしっかりと残っている。
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【玉櫓跡】
image-1 image-1  三ノ丸西側に位置する玉櫓跡。鈍角で直線的な珍しい形状の石垣が確認できる。

【竪堀?】
image-1  玉櫓近くにある石材運搬用のレール。一見竪堀のように見えるが違うらしい。

【武具倉跡】
image-1  武具倉跡の倒れた案内があったが、どの辺に建てられていたのかは良く分からなかった。


【御鐘門跡】
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image-1  二ノ丸の虎口にあたる御鐘門の石垣。堅固な枡形の石垣がしっかり残っている。

【二ノ丸】
image-1 image-1  御鐘門の内側が二ノ丸。現在整備中らしく石材が散乱し、一部にはブルーシートがかけられていた。


【出櫓跡】
 二ノ丸を進むと見えてくる出櫓の見事な高石垣。本丸の石垣を含めるとかなりの高さになり、見応えがある。
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【黒門跡】
image-1 image-1  出櫓の横にあった黒門の跡。道が左右に分かれており、当時はここに登城用と下山用の門が 2つ並んでいた珍しいつくりだったらしい。

【平櫓跡】
image-1 image-1  本丸の周囲を取り巻く腰曲輪の東側を守る平櫓の櫓台。石垣が残っている。

【埋門跡】
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image-1  腰曲輪の南西面にある埋門の跡。一部が崩れているものの、枡形の石垣がしっかり残っている。 この門の外側に下りていくと、本庄氏時代の遺構が残っている。


【本丸】
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image-1  標高135mの臥牛山山頂に築かれた本丸。西隅には3層の天守が建っていた他、 周囲は一段高く石垣が積まれており、多門櫓のようなものも建てられていたと思われる。

【本丸石垣】
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image-1 image-1  本丸周囲の石垣。山上の城でありながら高さのある見事な総石垣が築かれている。 基本的には打込み接ぎの布積みが多いが、本丸南東面には築城初期の野面積みの乱積みも見られる。

【本丸虎口】
 外枡形と内枡形を組み合わせてコの字状に折れ曲がる堅固な虎口。 石垣と門の礎石がしっかりと残っている。
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【天守台】
 本丸西隅に位置する天守台。当時は3層の天守が建てられていたが、寛文7年(1667)の落雷で焼失し、 以後再建されなかった。
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【本丸からの眺め】
image-1 image-1  本丸からは村上の町と日本海が見渡せる。天気が良いと粟島や佐渡島まで見えるらしい。


【本庄城跡】
 戦国期に村上氏が入る以前の本庄氏の居城だった。本丸跡は現在の村上城とほぼ一致している為、 改変されているが、西側山腹には数段の帯曲輪の他、竪堀や虎口跡などが残っている。 この時期、数回にわたり攻防戦が行われており、永禄11年(1568)には上杉謙信にも攻められているが、 時の城主本庄繁長は籠城戦にもちこみ、落城しなかった。
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【坂中門】
image-1  東側山腹の坂中門跡。石垣が残っているらしいが、藪に覆われて確認できなかった。

【井戸】
image-1  東側山腹、坂中門近くにある井戸跡。寛文年間に掘られたものらしい。 井戸と言うよりため池に近い感じのもので、現在も水が溜まっていた。


【下渡門跡】
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image-1  城主の居館や重臣の邸宅があった山麓部の曲輪の門。絵図によると左に折れる枡形形状をしており、 門の両側には二棟の二重櫓が建てられていた。現在も門の外側の堀跡や石垣が残っている。


【食い違い】
image-1  城下町には当時の名残と思われる食い違いの道などが残っている。