| 【本丸】 |
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本丸の北半分は陸上自衛隊新発田駐屯地の敷地となっているが、南半分の見事な
切込み接ぎの石垣と水堀が残っている。もっとも、当時から全面的に石垣が用いられていたのは
現在残っている部分だけだったらしい。
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| 【三階櫓】 |
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| 天守がなかった新発田城で、実質的な天守の役目をはたしていた三階櫓。 屋根の棟が丁字状で、全国的に珍しい鯱を3匹戴く屋根だった。 明治期に破却されたが、平成16年に伝統工法を用いて忠実に復元された。 |
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| 【旧二ノ丸隅櫓】 |
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| 本丸の鉄砲櫓があった場所には現在、二ノ丸にあった隅櫓が解体移築されている。 この旧二ノ丸隅櫓は大火後の寛文8年(1668)に再建されたもので、表門と同じく 外壁は海鼠壁で造られている。本丸表門とこの隅櫓が新潟県内に残る唯一の 現存城郭建築遺構で、現在は国の重要文化財に指定されている。 |
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| 【表門】 |
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現在の門は享保17年(1732)に再建された二階建ての櫓門で、旧二ノ丸隅櫓と共に
国の重要文化財に指定されている。門の両側の石垣は前面にせり出しており、
ここから攻撃できるようになっていたと考えられる。
外壁は旧二ノ丸隅櫓同様海鼠壁で造られている。また、表門前の土橋は当時は木橋だった。
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| 【辰巳櫓】 |
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本丸表門の東にあった辰巳櫓。こちらも木造で忠実に復元されている。
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| 【土橋門】 |
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| 帯曲輪の入口にあった薬医門で、この門と帯曲輪で本丸の表門への守りを固めていた。 正保元年(1644)の絵図面にも描かれている事から、それ以前に創建されたと考えられる。 寛文8年(1668)の大火により焼失したが、元禄13年(1700)までには再建されている。 明治に入り新政府の命で取り壊されたが、古写真や絵などが残っており再建が計画されている。 |
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| 【帯曲輪】 |
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本丸表門の守りを固めるための曲輪で、帯曲輪の虎口にあたる土橋門を破り、
表門に向かう間、本丸から攻撃できるように造られている。
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| 【二ノ丸】 |
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本丸の西側に位置する二ノ丸。現在は公園になっている。
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| 【堀部安兵衛】 |
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二ノ丸跡に建つ堀部安兵衛像。忠臣蔵で有名な堀部安兵衛は新発田出身だったが、
父が辰巳櫓焼失の責任をとって藩を辞し浪人となり、安兵衛は新発田を離れた。
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