杵築城 城下町
北台
【勘定場の坂】 |
城と北台武家屋敷とをつなぐ坂で、坂に設けられた53段の石段は石段の蹴上がり15㎝、路面は1.2mとなっており、これは籠かきや馬の歩幅に合わせて造られているらしい。24段目には富士山を模した敷石がはめ込まれている。西(24)の富士と言われている。
|
【北台武家屋敷】 |
城下にある南北の高台には武家屋敷が建てられていた。現在も武家屋敷の他、藩校跡など多くの建物が残っていて雰囲気の良い場所だが、土塀の老朽化が酷く、今にも倒れそうになってしまっている場所もある。
|
【磯矢邸】 |
勘定坂を上った場所に建てられている磯矢邸。藩主の休息所として設けられた御用屋敷の楽寿亭の一部で、寛政の大火(1800)などを経て幕末には200石の屋敷となっていた。発掘調査の結果、元治元年(1864)にはほぼ現在の形となっていた事が分かっている。
|
【能見邸】 |
磯矢邸の西側に建てられている能見邸。寛政の大火(1800)以前は300石の屋敷だったが、火災後能見氏が入った。ちなみに能見氏は、徳川直系の藩主松平能見氏の子孫のこと。現在見られる建物は、幕末期のものと考えられている。
|
【藩校の門】 |
天明8年(1788)に七代藩主が設立した藩校『学習館』の門。学習館自体は明治期に廃校となったが、当時の藩主御成門が現在でも杵築小学校の門として使用されている。
|
【大原邸】 |
杵築藩の家老を務めた大原氏の屋敷。重厚な長屋門が残っている。この門の中には本格的な回遊式庭園が残っているらしいが、訪れた時間が遅すぎて、見学出来なかった。
|
【酢屋坂と塩屋坂】 |
北台武家屋敷から商人の町へ下る酢屋坂と、向かい合った南台武家屋敷の塩屋坂。石畳が敷かれ、両側に石垣と土塀が残る杵築を代表する場所で、撮影などにも多く使われている。杵築は城よりも、むしろこちらの方が有名な気がする。
|
【南台】 |
北台と谷を隔てた南側の南台にも武家屋敷が並んでいるが、北台と比べると見所的には少々弱い感じ。八坂川から見ると、かなりの高低差があることが分かる。
|
商人の町
【商人の町】 |
南北の高台に配置された武家屋敷の谷間にある商人の町。坂の名前にもなっている酢屋や塩屋など、古くから続く商家が残っている。
|
【伊能忠敬測量隊宿跡】 |
商人の町の一角には、伊能忠敬の測量隊が泊まった宿跡の石碑が建っていた。まぁあの人達は全国回っているからな。
|