岡城 東ノ郭
東ノ郭
【東中仕切門跡】 |
本丸石垣のすぐ東側に設けられていた東中仕切門の跡。門の正面に本丸金倉が位置する強固な造りだったことが分かる。また、南北には掘切の跡も残っている。西側の西中仕切門と共に主郭部の東西を守っていた。
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【東ノ郭】 |
主郭部の東側に位置する東ノ郭。志賀氏時代はこちらが岡城の中枢部だったが、文禄3年(1594)に中川氏入城した後の大改修で、主要部が現在の場所に移された。しかし、その後も細い尾根を挟んだ一城別郭を意識したような曲輪となっている。
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【清水門跡】 |
東ノ郭の北側に設けられていた清水門跡。城域北側を流れる稲葉川のほとりに建てた河内谷御茶屋に藩主が行く際に使われた門らしい。河内谷御茶屋では月見を楽しんだらしいが、川までは結構高低差があって大変そう。月などここからでも見えるだろうに・・・ 試しに当時の藩主の気分を味わおうかと思ったが、現在、門の外は藪になっており、とても川まで歩ける雰囲気では無かった。
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【米倉跡】 |
米倉跡の石碑と共に僅かに石垣が残るが、全貌がイマイチ分からない。まぁこの辺りに米倉があったのだろう。
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【三楽亭跡】 |
その隣が三楽亭跡。曲輪南側の舗装路沿いに石垣と枡形状の虎口が残っている。曲輪内には何も残っていない。
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【御廟所跡】 |
本丸から下原御門に向かう途中にある御廟所跡。先祖代々の位牌を安置していた廟所と藩祖中川清秀を祀る荘嶽社があった場所。現在は何も残っていない。
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【下原御門跡】 |
台地先端部に位置する搦手門。当初はこちらが大手だったが、文禄3年(1594)中川氏入城後の改修の際、加藤清正の指示により、大手を西側に移したと言われている。大手では無くなったものの、当時の主要な3つの登城路の一つで、張り出しから横矢をかけた高石垣が築かれた厳重な喰違い門で造られていた。現在もその高石垣が残っている。
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