臼杵城 古橋口・今橋口
古橋口
【古橋口門】 |
城域の西側に設けられた大手口で、大友宗麟築城当初は唯一陸と繋がる登城口だった。馬出状の小曲輪に古橋門櫓跡や亭櫓などを設けて厳重に守っていた。門前の水堀に架けられている古橋は、寛延元年(1748)に架けられた当時の石橋らしい。
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【水堀】 |
古橋は現存だが、その下の水堀は最近復元されたもの。現在はちょっとした池のような水堀だが、当時は海水を引き込んだ幅約25mの立派な水堀だったらしい。と言うか、海だからな。また、城側の岩肌には沢山の横穴が開けられていたが、いつ頃のものかはよく分からなかった。関東で言うところのヤグラみたいなものだろうか。
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【古橋門櫓跡】 |
古橋を渡った場所に当時は古橋門と古橋門櫓が建てられていた。現在は櫓台の石垣のみ残っている。
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【亭櫓跡】 |
上記の古橋門櫓の南側に建てられていた亭櫓跡。こちらも石垣のみしか残っていないが、かなり厳重な造りだった事が分かる。
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【鐙坂】 |
古橋口門から二の丸へと続く鐙坂。馬具の鐙のように曲がりくねっていた事からこう呼ばれたものと思われる。道幅も狭く、ここしか登城路が無いとなると、攻城も大変だった事だろう。近年になって土塀が復元された。
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【中門櫓跡】 |
鐙坂を上りきった二の丸の帯曲輪の入口には中門が設けられ、その横には中門櫓が建てられていた。現在は切石積みの見事な櫓台が残っている。見た目は綺麗だが、野面積みの方が強度はあるのだろうな。なお、築城当初の登城路はここから二之丸西側から北側に設けられている帯曲輪を通り二之丸の東側から回り込むルートだった。
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今橋口
【今橋口門】 |
築城当初は古橋口のみが登城路だったが、稲葉氏の入城後、古橋の北約200mの場所に今橋口が整備された。現在周囲は埋め立てられてしまい面影がないが、当時は古橋と今橋のみで、城山と繋がっていた。今橋の横に設けられていた今橋口門脇櫓の石垣が僅かに残っている。元々岸壁状だったので、この程度の石垣だったのかもしれない。
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【今橋口 中ノ門】 |
今橋門を抜けてすぐの所に、中ノ門が設けられている厳重な造り。この中ノ門を抜けた場所が二之丸北側の帯櫓となっており、古橋口からの登城路と合流していた。
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【着見櫓跡】 |
二ノ丸の北側、登城路となっていた北側の帯曲輪を見下ろす位置に建てられていた着見櫓。すぐ横に設けられた二ノ丸の虎口である上ノ門を守っていた。現在も比較的新しそうな綺麗な石垣が残っている。
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【上ノ門跡】 |
二ノ丸の北側に設けられている虎口で、帯曲輪と繋がっている。現在は舗装路となってしまっており、当時の堅固な造りの面影がないが、二の丸側の石垣に門の痕跡が残っている。
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【二之丸北側帯曲輪】 |
稲葉氏が上ノ門を設けて帯曲輪を分断する以前は、古橋口から鐙坂を通り二ノ丸の西側~北側の帯曲輪を抜けて二の丸の東側から入城するルートだったらしい。現在も、二之丸の北側には帯曲輪状の通路が残っており、ここが登城路だったと思われる。
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