鬼ノ城跡 城内遺構・その他
城内遺構・その他
【礎石建物 倉庫跡】 |
城域中心部に残っている建物跡の礎石。全部で7棟見つかっており、主に倉庫として使われていたと考えられている。一部の礎石からは直径50cm程の丸柱を乗せていた痕跡が残っているらしいので、結構立派な建物が建てられていたのだろう。
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【礎石建物 管理棟跡】 |
7棟ある礎石建物の中でも東側の二棟は他の建物よりも広く、建物の構造や周囲の出土物などから、役人が管理・運営のために常駐していた施設と考えられている。確かに他の礎石に比べると、少し立派な感じがする。この辺りからは7世紀後半から8世紀初め頃の土器や須恵器の焼物などが見つかっており、この頃まで鬼ノ城が使用されていたと考えられている。
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【敷石】 |
南側の城壁の内側にはっきりと残っている敷石。雨水から城壁を守るために保護するために敷かれていると考えられている。このような敷石は、他の古代山城では勿論、、百済の山城でも殆ど見られない珍しいものらしい。
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【鍛冶工房跡】 |
南門の近くに位置する鍛冶工房跡。現在はちょっと開けた感じの平地にしか見えないが、ここからは9基の鍛冶炉や、鉄を鍛えるときに使う道具などが多数発見されているらしい。他にも、ここと同じ第四水門に続く谷川沿いに2ヶ所の作業場が見つかっているらしい。
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【石垣遺構】 |
城壁の内部にも、所々に石垣の遺構が残っている。どういった遺構かはよく分からないものも多いが、この山は岩山と呼ばれている位なので、もともと岩の多い場所なのだろう。
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【土塁】 |
城域東側に残る土塁。高さ2m程の土塁が50m程続いており、強固に固められた版築の壁と言うよりも、どことなく中世山城を思わせる掻き上げ土塁に見える。版築が崩れて現状のようになっているのだろうか?
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【祠】 |
城内の随所に見られる祠。一部には彫刻も見られる。平安時代には山上仏教が栄え、この地域周辺には大規模な伽藍が多数立ち並んだいたらしいので、その頃のものかもしれない。
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【登城路】 |
駐車場からの登城路。道沿いには多くの巨石が見られる。石垣を築くための石材には困らなかっただろう。
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【北側から見た鬼城山】 |
北側から見た鬼城山。こちらは城の背面にあたり、南側と比べると北側の比高はあまりないが、それでも40m~50m位はありそう。
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