二の丸・遊撃丸・弾正丸
二の丸
【二ノ丸】 |
本丸の西側下に位置する広大な二ノ丸。矢穴のある石垣の石材などが置かれている。こちらからは直接本丸には行く事が出来ないので、実質上の三ノ丸にあたる。曲輪内からは建物跡が見つかっている。
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【二ノ丸石垣】 |
二ノ丸西側の石垣には、三箇所の合坂と呼ばれる石垣上に登る石段が設けられている。近年、崩壊の危険から解体修理が行われ、破却された石材の下から瓦積みが見つかっているらしい。
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【二ノ丸 長屋跡】 |
発掘調査の結果、二棟の長屋と一棟の小型建物が見つかっている。長屋は20m×5m程で、4つの部屋に仕切られている。これらは掘立柱の簡素な建物なので、仮設的な建物だったと考えられている。
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遊撃丸
【遊撃丸】 |
二ノ丸の北側に位置する遊撃丸。文禄2年(1593)に明の講和使節(遊撃将軍)が滞在した場所と言われている。破城されているものの、全周にわたって割石を使った打込接ぎの見事な石垣が残っている。何気に、名護屋城の石垣で割石を使っている箇所は、この遊撃丸の他は天守台の本丸の一部のみで希少。
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【遊撃丸虎口】 |
遊撃丸には南北に一箇所ずつ虎口が設けられているが、いずれも天守台直下に位置し、厳重に守られている。
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【船出口】 |
遊撃丸西側に設けられていた船出門の跡。古絵図によると、ここには櫓門が建てられており、櫓台の石垣が残っている。この場所からは金箔瓦が出土しているらしい。
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弾正丸
【弾正丸】 |
城域の西側、搦手方面に位置する広大な弾正丸。用途ははっきりと分かっていないらしいが、周辺の陣から登城する武将にとっては正面口となる曲輪だったと思われる。
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【弾正丸 石垣】 |
弾正丸周囲の石垣もしっかりと破城されている。破城されていない部分では、石垣の縁に立つのが怖いくらいの高さだが、ここも破城されていると簡単に歩いて降りられそうな状態になっている。
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【搦手口】 |
弾正丸の西側に設けられている搦手口。搦手とは思えない程の幅広のの内枡形虎口で、防御意識が低い名護屋城内では最も守りの堅い虎口だったと思われる。主に周辺に陣屋を構えた諸大名の出入り口として使われていたと考えられているので、見栄えを重視したのだろうか。
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