Japanese Castle

山里丸・台所丸・水手口

山里丸

【山里丸】
 秀吉が1年3ヶ月の滞在中、日常生活を送っていたと考えられている山里丸。図屏風にも豪壮な御殿や月見櫓、茶室など多くの建物が描かれており、発掘調査の結果、図屏風に描かれているとおりの場所から茶室跡も発見されている。現在は広沢寺となっているが、これは秀吉の側室の広沢局に由来するものだろう。
【上山里丸 石垣】

 図屏風によると山里丸は上下二段の石垣からなっているが、実際に発掘調査の結果もこれを裏付ける2段の石垣が見つかっており、図屏風がかなり正確に描かれている事が分かる。上下ともに、推定高6m程の立派な石垣だったらしい。秀吉の御殿廻りの石垣として、見栄えも重視して築かれたものと思われる。
【山里口】
 上山里丸に至る虎口。徹底的に破城されている名護屋城の中で、唯一ここの石垣だけが破城されずに残っている。左右に5回も曲げられる枡形が連続したような堅固な造りの虎口だが、門は1箇所にしか設けられていなかったらしい。何がしたかったんだ?

【上山里丸虎口】
 上山里丸の虎口は上記の山里口の他に、西側に現在の広沢寺の出入口となっている虎口もある。山里口と比べると、かなり幅の狭い。通用口みたいなものだろうか。

台所丸

【台所丸】
 山里丸の北に位置する台所丸。現在、曲輪内は木々に覆われてしまっているものの、周囲の石垣と鯱鉾池が残っている。
【鯱鉾池】
 台所丸周囲に残る鯱鉾池。名護屋城で唯一の水堀で、図屏風通りの形状で良く残っている。当時はこの鯱鉾池に小舟を浮かべるなど、山里丸に付随する遊興的な場所だったと考えられている。この堀によって城下の武家屋敷や町屋との間とが隔てられていた。
【太閤井戸】
 台所丸の北西に位置する太閤井戸。長方形の石組みの井戸で、現在も水が湧き出しているらしいが、訪れた時はブルーシートで覆われていて水は見れなかった。図屏風で描かれている場所とぴったり一致している。

水手口

【水手口】
 城域北側に設けられた水手口。5つある登城口の一つで、どの曲輪も通らず直接本丸に至る事が出来る唯一の登城路だった。この辺りも高い石垣が築かれている。
【水手通路】
 水手口から本丸へは、現在は細い舗装路が通されているが、当時は水手曲輪の横を回り込み複数回折れて直接本丸に至る登城路が設けられていた。現在も通路の横には大きな割石を積んだ立派な石垣が残っている。古絵図によると本丸北東虎口のにあたる北ノ門の他に、通路途中に一箇所の門が設けられていた事が分かるが、それにしても直接本丸って、防御的にはどうなんだろう?

【水手通路北側】
 水手通路の北側にも高い石垣が築かれている。この下は山里丸。山里丸から直接本丸付近に至るルートはなさそう。水手口から回ったのかな?
【水手曲輪】
 本丸の北側下に位置する曲輪で、本丸等に降った雨水を集めて貯めていたた場所と伝えられている。虎口は東側の一箇所のみで、曲輪内からは井戸跡が見つかっている。
【北側石垣】
 水手口近くに残る石垣。この辺りでも隅部はしっかりと破城されている。