名護屋城陣跡
堀秀治陣跡
越前北ノ庄18万石の堀秀治の陣跡。堀秀治は秀政の子で、当時16歳で六千人の兵を率いて参陣した。120以上ある陣跡の中でも、有数の規模で、兵の割には陣跡が広い印象。秀治は渡海せずこの陣で生活し、御殿、広間、能舞台跡、数寄屋跡などの遺構が現在も良く残っている。
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【大手道】 |
名護屋城のある北東方面に設けられた大手口。山麓から直線的に続く登城路で、当時は玉石で舗装されていた。現在、この山麓は通れなくなっている。
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【大手曲輪跡】 |
大手道の横に設けられた曲輪で、発掘調査の結果、2棟の掘立柱建物の柱穴の跡が見つかっている。大手を警護する番所跡もしくは馬小屋として機能していたと考えられている。
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【大手門跡】 |
大手道を上りきったところに設けられていた大手門跡。当時は玉石が敷き詰められていた。現在も門の礎石が残っている。
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【東曲輪跡】 |
大手口から東側に折れのある切通しの通路が設けられており、その先が東曲輪だった。
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【本曲輪跡】 |
この陣の中心部となる広大な本曲輪跡。周囲には土塁と空堀が築かれ、曲輪内からは御殿や広間、能舞台などが見つかっている。陣跡と言うよりはもう立派な城の本丸に近い。
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【旗竿石】 |
本曲輪に残る旗竿石。ここの他にも数ヶ所で見つかっている。実際には旗竿石では無く手水石だったとか。
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【北曲輪跡】 |
本曲輪の北に位置する北曲輪跡。大石が散在している事から、庭園跡と考えられている。
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【本曲輪~北西曲輪】 |
本曲輪と北西曲輪との間には二本の空堀が明瞭に残っている。
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【北西曲輪】 |
本曲輪の北西に位置するので、北西曲輪。他の曲輪同様、割と分かりやすいネーミング。土塁と空堀に囲まれた本曲輪とは異なり、周囲に石垣が築かれている。曲輪内部から、建物跡の他、玉石敷、飛び石などが見つかっている。
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【搦手】 |
北西曲輪の西側に設けられている搦手。現在は大手側の山麓は通れないので、こちらから登城する事になる。山麓には案内板も建てられている。
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