菅谷館



【菅谷館】
image-1  菅谷館の歴史は古く、鎌倉時代の有力御家人だった畠山重忠が文治2年(1187)頃にはここに 居館を構えていた言われる。重忠の死後は明らかではないが、室町時代にはこの城の周辺で 山内上杉氏と扇谷上杉氏が激しく戦った記録が残っている。 現在見られる遺構は、戦国期に北条氏の傘下の城として拡張整備された時のものと思われる。 昭和48年に国の史跡に指定された。


【本郭】
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image-1  周囲を土塁と空堀に囲まれた東西約150m、南北約60m本郭。 畠山重忠の館はこの本郭内にあったと思われる。

【本郭北側虎口】
 本郭の北側の虎口。虎口の外側の空堀には土塁が架かり、 その土橋の守りとして出枡形がすぐ横に造られている。
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【本郭北側空堀】
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image-1  本郭北側の空堀。北側には土橋と出枡形が配されている。綺麗に整備されている。

【出枡形】
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image-1  本郭北側中央にせり出した出枡形。本郭の虎口につながる土橋の守りを意識して造られている。

【本郭西側空堀】
 西側は直線的な空堀。北側ほどの深さはないものの、綺麗に整備されている。
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【本郭南側空堀】
 本丸の南側は土塁がなく、他と比べると浅めの空堀が掘られている。また、空堀の外側には 土居が築かれ、南郭との間を隔てている。
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【本郭 生門跡】
image-1  本郭の東側にある土塁の切れ目が生門の跡。当時はこちらが大手だったらしい。

【本郭東側空堀】
image-1  生門の外側は、都幾川へと流れる自然の川を利用した深い堀になっている。

【二ノ郭】
 本郭の北と西側を囲むように配された二ノ郭。本郭、三ノ郭とは堀と土塁で隔てられている。
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【畠山重忠像】
image-1 image-1  二ノ郭北側に位置する土塁の上に建てられている畠山重忠の像。 昭和4年に建てられたもので、鎌倉の方角を向いて立っている。


【二ノ郭 東側空堀】
 二ノ郭の東側の空堀。堀底道となっており、北側の三ノ郭からからの連絡路として 使われていたと考えられている。
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【二ノ郭 西側】
 二ノ郭の西側にも高さ3m〜4m程の土塁が続き、土塁の外側には自然地形を利用した深い 外堀が掘られている。
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【三ノ郭】
 城域の北側を取り巻く広大な曲輪。現在は東側に歴史資料館が建てられており、 歴史資料館の周辺からは建物や井戸跡なども見つかっている。
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【三ノ郭 搦手門跡】
 現在、歴史資料館の正門となっている搦手門跡。左右の重厚な土塁は3m程ずれており食い違いに なっていたと思われる。また空堀に架かる土橋は上り坂になっており、外から中を見通しにくくなるよう 造られていた。
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【三ノ郭 搦手門外側】
 三ノ郭の搦手門の外側はにも堀を挟んで二重に土塁が築かれ、 周囲の泥田堀と合わせて堅固な造りになっていた。
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【三ノ郭 建物、井戸跡】
 歴史資料館の建設の際に発掘調査が行われ、建物跡、溝跡、井戸跡が見つかった。 それらのうち、2ヶ所の建物跡と1ヶ所の井戸跡が平面展示してある。
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【三ノ郭北側】
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image-1 image-1  三ノ郭北側の土塁。高さ3m程の土塁が周囲を取り囲んでいる。土塁の外側は水堀が掘られている。

【三ノ郭土塁と水掘】
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image-1  三ノ郭と二ノ郭の間には土塁が築かれ、畠山重忠像周囲の溜池の部分は、 外堀からつながる水堀となっていた。

【蔀土塁】
image-1 image-1  西ノ郭へと続く正てん門の内側に築かれた蔀土塁。西ノ郭から三ノ郭内部が見渡せないように造られた土塁だが、 この程度の土塁では見渡せてしまうような気もする。当時はもっと高かったのだろうか。 周囲に古墳群がある事から、円墳を利用している可能性もある。


【三ノ郭〜西ノ郭】
 三ノ郭と西郭を隔てる空堀。堀幅は一定ではなく、横矢のような形状も見られる。
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【三ノ郭〜西ノ郭 木橋】
 三ノ郭と西郭を隔てる空堀には木橋が推定復元されている。西ノ郭よりも三ノ郭側が1m程高く盛り土され、 木橋に傾斜がつけられていた事が分かっている。堀の中段からは、木橋の橋脚を建てたと考えられる 石積みも検出されている。
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【西ノ郭】
 三ノ郭の西側に位置する西ノ郭。周囲を土塁と堀に囲まれている。
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【南郭】
 本郭の南側に位置する南郭。都幾川に面し、他の郭より一段低くなっている。 どのような用途で使われた郭かは良く分かっていない。
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【本郭〜南郭】
 本郭と南郭の間は空堀と、空堀の外側の土塁によって隔てられている。
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【南郭〜都幾川】
 南郭の南側には虎口が設けられ、都幾川へと続いている。
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