【佐和口多聞櫓】 |
---|
佐和ロは、中堀に開く4つの口の1つで、いろは松に沿った登城道の正面に位置している。 当時は中堀に接して高麗門があり、その内側を鈎の手に曲げて櫓門が築かれた枡形をしていた。 現在は重要文化財に指定されている。 |
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
【佐和口多聞櫓 内部】 |
---|
建物の外面は柱などを土壁で完全に塗り込める大壁造りなのに対して、内側は柱を見せる真壁造りとなっている。 また、防弾の為に外側下半分の壁の厚さは30cm以上にしてあり、狭間も設けられている。また、室内の二カ所には 片面に壁土を塗り込めた防火間仕切が設けられており、屋根裏まで立ち上がっている。 |
![]() ![]() ![]() |
【二の丸 馬屋】 |
---|
二ノ丸に残る藩主の馬などを繋いでいた馬屋で、元禄時代の末頃に建てられたと考えられている。 21頭馬を収容する事が出来、佐和口門櫓に接する東側の畳敷の小部屋と西側近くの門の他は すべて馬立場と馬繋場となっていた。L字形で当時はさらに南側に伸びていたと考えられるが、 現在は復元されていない。全国の近世城郭に残る大規模な馬屋として例がなく、 国の重要文化財に指定されている。 |
![]() ![]() ![]() |
【二の丸 馬屋内部】 |
---|
馬立場は前方のつなぎ柱2本と後方の押柱2本で区画されており、つなぎ柱に 設けられた金具に 馬の手綱を縛り固定していた。床は板張りで、その下に亀などが配され、排泄物を処理しやすく工夫されていた。 また、馬の作り物も置かれていたが、当時の馬は現在のサラブレッドなどと比べると一回り 小さい馬だったらしい。 |
![]() ![]() ![]() |
【楽々園 地震の間】 |
---|
![]() |
【玄宮園】 |
---|
延宝5年(1677)第4代藩主井伊直興により造営された回遊式の城郭庭園で、江戸時代初期の作庭を 今に伝える名園。中国唐時代の玄宗皇帝の離宮になぞらえて築庭されたと言われている。 |
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
【玄宮園と中堀】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() |
【玄宮園 井伊直弼生誕地】 |
---|
![]() |
【京橋口】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
![]() |
【西郷邸】 |
---|
![]() ![]() |
【長野伊豆邸】 |
---|
![]() |
【船町口】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
【二の丸 井伊直弼像】 |
---|
文化12年(1815年)に彦根城下の下屋敷(槻御殿)に生まれ、後に江戸幕府の大老職となった井伊直弼の像が 建てられている。またその横には井伊家の菩提寺に納めたと伝えられる和歌の歌碑も建てられていた。 |
![]() ![]() ![]() |
【桜場】 |
---|
![]() ![]() |
【二の丸 中堀】 |
---|
![]() ![]() |
【二の丸 木俣邸】 |
---|
![]() |
【二の丸 脇谷邸】 |
---|
![]() ![]() |
【二の丸南側】 |
---|
![]() ![]() |