彦根城 登城路・本丸周辺



【表門】
 当初、大手門が彦根城の正面として造られたが、20年間の築城期間中に中山道の整備が本格化し、 中山道へと続く表門が正面となっていった。
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【表門周囲の水堀】
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【表御殿】
image-1  表坂の麓は彦根藩主の藩庁であったところで、藩主の御殿が建てられていた。現在は主要な 建物の一つであった表御殿を復元されており、彦根城博物館となっている。


【表門 登り石垣】
image-1 image-1  表門付近から山上の鐘の丸に向かう山腹に築かれた登り石垣。当時は石垣の上に瓦塀が乗っていた。 石垣に沿って竪堀も掘られている。登り石垣は秀吉の朝鮮出兵の際に、日本軍が築いた倭城で顕著に見られるが 日本に残る遺構は少なく、良好な状態で残っているのは松山城や洲本城などしかない。


【表坂】
image-1 image-1  表門から天秤櫓へと続く表坂。石段の幅は不規則で、歩きにくくなるよう造られている。


【大手門】
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image-1 image-1  内門に接する位置に外門の高麗門があり、曲がったところに内門の櫓門がある規模の大きな枡形。 当初は彦根山にあった彦根寺への巡礼街道につながる大手として築かれたが、次第に中山道方面の 表門が大手としての役割を担うようになっていった。

【大手門】
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【大手坂】
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【黒門】
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【黒門付近の水堀】
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【黒門〜西の丸】
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【山崎曲輪】
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【山崎曲輪 内堀】
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【山崎口】
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【山崎曲輪〜出曲輪】
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【登り石垣 北側】
image-1 image-1  西の丸と出曲輪との間の堀切から北側山麓まで続く登り石垣。藪に覆われているが、石垣の横の竪堀が明瞭に残っている。


【登り石垣 南側】
 米蔵の西端から西の丸と出曲輪との間の堀切付近まで続く登り石垣。山腹の石垣は木で見えないが、 下部の石垣は良く残っている。
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【米蔵跡】
 ここには幕府の預り米五万石分を収める米蔵17棟が建てられていた。この米蔵は御用米蔵と呼ばれ、 幕府から御用米として預かった米5万俵を収納していた。琵琶湖から松原内湖を経て内堀まで搬入された米は、 内堀に開く水門より蔵に収められ、敷地の南と北に設けられた門と番所には、役人を配置が配置され 厳重に保管されていた。今は紅梅白梅約400本が植えられた梅林となっている。
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【米蔵 井戸跡】
image-1 image-1  米蔵跡にも何ヶ所か井戸の跡が見られる。


【水門】
 米蔵中央付近の内堀に面したところにある水門。土塁の間に設けられた埋門で、 この水門を抜けると石段で水面の船着き場に下りる事が出来、ここから琵琶湖の水運を利用して 米を運んでいた。
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【中堀船着き場跡】
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