水ロ城は寛永十一年(1634)徳川三代将軍家光が上洛するのに伴い、宿館として築城された。工事は小堀遠州ら
作事奉行のもと、幕府直営で行われた。軌構造は平城で、堀に囲まれた本丸とその北側の二の丸からなる。本丸はほぼ
正方形で東に出丸をもち、御殿と四隅に櫓を配している。二の丸には管理・警護施設が設けられた。本丸殿舎の建物構成は
二条城に類似し、数寄をこらしたものといわれている。堀には注水坑はなく、今も水のかれることがないことなどから、別名
碧水城と呼ばれている。家光上洛後は番城として幕府の管理下に置かれ、天和二年(1682)に加藤氏が入封して水ロ藩が
成立し、その居城となる。なお、本丸殿舎は正徳年間(1711〜1716)に撤去された。明治維新後は廃城となるが、堀や石垣は
よく形状をとどめている。近年、出丸部分の修景が行われた。
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