【三田村城】 |
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浅井家の重臣として姉川北岸で大きな勢力を誇っていた三田村氏の居館跡。約60m四方の 土塁に囲まれた平地城館で、姉川合戦の際には朝倉景健の本陣として使用されたとも言われている。 発掘調査の結果、土塁は2時期に分かれて築造されている事が分かっているので、上部は 姉川合戦期に高く盛られたと考えられる。現在は北近江城館跡群として国指定の史跡となっている。 |
【本堂】 |
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城跡は現在傳正寺となっており、その本堂には現在も三田村氏の家紋が飾られている。 ちなみに三田村氏は姉川の合戦後、浅井氏とともに小谷城に撤退するが、織田信長に 攻め落とされ、秀吉を通じて降伏を申し出るが聞き入れられず、三田村氏とその一族 77名が打ち首となった。 |
【西側虎口】 |
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西側に残る虎口の跡。城館の周囲は土塁と水堀に囲まれ、当時の虎口はこの西側虎口 一カ所だったらしい。 |
【鐘楼】 |
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西側の虎口横に建てられている鐘楼。当時は櫓台だったと思われる。 |
【西側土塁】 |
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西側には虎口や櫓台の他、高さ2〜3mの土塁が良く残っている。また、この土塁の外側には 堀跡とみられる溝も残っている。 |
【南側土塁】 |
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南側の土塁にも中央部に虎口跡のような切欠きが見られるが、地元の方の話によると、 これは後になって削られたものらしい。 |
【東側土塁】 |
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一部折れのような形状も見られるが、明瞭ではない。後になって改変されたものかもしれない。 |
【北側】 |
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北側の土塁は、西側の一部を残すのみで、跡形も無く取り払われている。 |
【石碑】 |
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西側の土塁の片隅には、三田村氏の石碑が建っていた。 |