坂本城
元亀2年(1571)に比叡山延暦寺を焼き討ちした織田信長の命によって、明智光秀が築城した琵琶湖畔の水城。当時はこの辺りが東国からの物資の上陸地点であった事から、延暦寺と琵琶湖の水運を断ち切るためにこの地に築城されたとされる。築城は安土城より前だが、既に大天守と小天守があったとされ、ルイス・フロイスによると安土城と並ぶ名城だったらしい。天正10年(1582)の本能寺の変後、山崎の合戦に敗れた明智光秀はこの坂本城を目指したが、途中で討死。甥の明智秀満が琵琶湖を渡って入城するも落城。その後、一度は修復され丹羽長秀や浅野長政らが入ったが、天正14年(1586)に大津城が築かれ、同時に坂本城は廃城となった。この際、多くの資材は大津城に転用されたと言われている。現在は、琵琶湖畔に一部の石垣が残るのみで、殆どの遺構が跡形もなく煙滅している。
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坂本城址公園
【坂本城址公園】 |
城跡付近の湖畔にある坂本城址公園。公園内には、微妙と噂の光秀の石像が建てられている。噂どおり、確かにかなり微妙な感じ。『光秀の意地』と書いて『おとこの意地』と読ませるの歌碑などもあり、これまたかなり微妙だが、光秀の人気ぶりだけは伝わってくる。この辺りでは、秀吉より光秀の方が人気があるらしい。
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【坂本城址公園 石垣】 |
公園化によりそれなりに改変されているとは思うが、公園内にはそれっぽい石垣が残っている。この辺りには船着き場の石垣の一部が残っているらしいが、この石垣のことだろうか。正直、どこまでが当時の遺構かは良く分からない。
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本丸跡
【本丸跡】 |
公園北側の本丸跡へ。今回は渇水していたこともあってか、公園から湖畔を歩いて直接行けたが、県道からも一応案内板どおりに土橋を通れば辿れるようになっている。ただし、案内板はその辺に転がっていたりするので注意。
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【本丸跡石垣】 |
記録的な渇水と言うことで、湖畔に現れた本丸跡の石垣。正直なところ、数段に積み上げられているなど、もう少し立派な石垣を想定してしまっていたが、現状はただ大きめの石が並んでいるだけのように見える。少し蹴飛ばせば、元の位置が分からなくなってしまいそうだが、実はこの下に埋まってたりするのだろうか?残念ながらルイス・フロイスが言うところの、安土城と並ぶ名城の面影は全く感じられない・・・
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【ヌートリア】 |
本丸石垣を探している途中、ビーバーのような生物が普通に泳いでいるのを発見。逃げる様子もなく当たり前のように泳いでいるので一瞬目を疑ったが、調べてみると最近この辺りで増えているヌートリアらしい。
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来迎寺
【来迎寺表門】 |
城跡の北1.5km程のところにある来迎寺の表門は坂本城の城門を移築したものらしい。当時のままかは分からないが左右に小門と番所が設けられている立派な門で、重要文化財に指定されているらしい。ちなみに、来迎寺は延暦9年(790)創建との事なので、坂本城よりかなり古くからある由緒ある寺で城門の他にも幾つかの建物が重要文化財に指定されている。
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【森可成の墓】 |
来迎寺に建てられている森可成の墓。森可成は美濃のイメージがあったので、何故ここに?と思ったが、宇佐山城の戦いの際、この辺りで討死したとの事。
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