江尻城跡
【江尻城跡】
永禄9年(1569)、駿河に攻め込んだ武田信玄により築かれたのが始まり。 天正6年(1578)に当時の城将だった穴山梅雪により大改築され、『観国楼』と呼ばれる 高層の櫓も建てられ、城下町を有する本格的な城となったが、天正10年(1582)徳川家康に 攻められ城を明け渡した後、豊臣氏、徳川氏が城将が替わり慶長6年(1601)に廃城となった。 現在、遺構は残っていないが、本丸、二ノ丸、櫓、薬研堀、硫黄堀などの地名が残っている。
【本丸門】
現在の江尻小学校の辺りが当時の本丸があった場所らしく、小学校の正門は本丸門となっていた。
【二の丸跡】
本丸門の北数百mのところにある二の丸町の案内。この辺りが当時の二の丸だったらしく、 二の丸町という地名が残っているが、遺構は何も残っていない。