花沢城
今川氏によって築かれた、駿府に至る街道を抑える要衝に位置する山城。永禄13年(1570)に武田信玄が駿河に侵攻した際、激戦地となった事で有名で、古くは古戦場として知られていたとの事。この攻城戦の際、今川方は23日間に渡って抗戦したが最終的に落城している。近年になり茶畑などに利用されていた時期もあったようだが、現在では尾根上の曲輪などが整備されている。
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花沢城主要部
【登城口】 |
案内板どおり花沢城登城口を目指して進んでいくと、上記の通行禁止の案内が現れる。しかし、周囲に駐車場はなくやや窮地に追い込まれる。仕方無く路肩に停めさせてもらい、ここから歩く。数分で登山道入口に至る。
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【登山道】 |
登城路が分かりにくいとの口コミが多かったので、かなり下調べをして行ったが、ありがたいことに、現在(2023,11)はしっかりと登山道が整備されている為、迷うことは無さそう。途中、お茶レール(モノラックレール)が何本も見られるので、以前はこの上も茶畑として利用されていたのだろう。
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【一の曲輪】 |
登城路を直上すると、いきなり一の曲輪に出てしまう。尾根の頂部を削平した細長い曲輪だが、切岸はだいぶ甘い感じ。虎口跡や土塁もなど、技巧的な遺構は一切見当たらず、だいぶ寂しい感じがする。
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【一の曲輪】 |
登城路の途中で見たお茶レールは一の曲輪まで続いていた。この一の曲輪も以前は茶畑だったのだろう。
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【三の曲輪】 |
一の曲輪の西側、一段下がった場所に設けられている三の曲輪。こちらも一の曲輪同様、尾根を削平しただけの簡単な造り。
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【一の曲輪~二の曲輪の掘切】 |
一の曲輪の東側(三の曲輪の反対側)には二の曲輪が設けられており、その二の曲輪との間の掘切がこの城最大の見所と言える。尾根筋を断ち切る規模の大きな掘切。
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【二の曲輪】 |
掘切の先の小高くなっている場所が二の曲輪。こちらも土塁などは見当たらない。激戦が行われたとは思えない簡素な造りに見える。
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【二の曲輪~六の曲輪】 |
二の曲輪から尾根筋を下り六の曲輪へ。どこまでを二の曲輪としているのか判然としないが、途中には腰曲輪のような削平地も見られる。
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【六の曲輪】 |
尾根筋の途中に設けられた小曲輪が六の曲輪。こちらも他と同様、削平が甘い。この先の尾根筋は藪が酷いので、一旦車道に降りる。
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【七の曲輪】 |
車道から見上げる七の曲輪。車道からの登る坂道も設けられていたが、曲輪自体は藪が酷くて入れない。
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【八の曲輪】 |
城域の最南端、尾根筋の先端に位置する出丸にあたる八の曲輪。独立丘のようになっており、ここからは山麓が一望出来る。物見の役割をしていた曲輪だろう。眼下には東海道新幹線が通っており、当時から現在に至るまで交通の要衝であることが分かる。
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