掛川城 二の丸・三の丸



【二の丸御殿】
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 二の丸に現存する御殿。藩主の住居であるとともに藩政の中心となる建物で、 藩の公的式典などが行われた。 嘉永7年(1854)の地震により天守などと共に倒壊し、現在見られる御殿は 文久元年(1861)に再建されたもので、明治元年(1868)まで使われた。 比較的新しい建物だが、現存する御殿建築はここの御殿の他、二条城、高知城、 川越城の四箇所しかない貴重なもので、現在は国の重要文化財に指定されている。

【二の丸御殿内部】
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 7棟からなる書院造で、襖によって仕切られた多くの畳敷きの部屋が連なっている。 武具なども展示されている。

【二の丸御殿内部 長囲炉裏の間】
image-1  この御殿を建てたのは、当時城主だった太田資功で、城主やその奥方が使用した長囲炉裏の間の天井には、 太田家の家紋である桔梗紋と替紋の鏑矢紋が掘られている。この太田資功は太田道灌の直系子孫である事が 家紋からも分かる。


【二の丸黒土塁】
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image-1  二ノ丸御殿の東側に築かれた高さ3m程の土塁。現地解説版によると、二の丸御殿を隠すための土塁で、 このような土塁は黒土塁と呼ばれているらしいが、あまり他では聞いた事が無い。 また、東北側に残る櫓台のような土盛りは当時は土塁と続いており、門が設けられていたらしい。

【二の丸茶室】
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 二の丸内、御殿の隣には現在茶室が建てられている。ここの茶室では毎年将棋の王将戦が 行われているらしく、訪れた時もちょうど一週間後に王将戦を控えているとの事だった。

【二の丸井戸】
image-1  御殿の裏手にある井戸。当時のままかは分からないが、内部には石も積まれてしっかりした井戸。


【四足門】
image-1 image-1  本丸に通じる重要な門で正保城絵図を元に復元されているが、門の跡は見つかっていない。 当時は門の内側に番所があった。

【三日月堀】
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 本丸門の前面に位置する三日月堀。堀の南側には石垣が残っており、堀底から柱穴も見つかっているらしい。 この堀と横の十露盤堀とに囲まれた場所が丸馬出しのような役割をしていたと無理矢理見れなくも無いが、 恐らくは、ただ三日月の形をした堀という事だろう。

【十露盤堀】
image-1  本丸周囲の堀に当たる十露盤堀。堀底に凹凸があり、十露盤のようになっている事から 十露盤堀と呼ばれたと言われている。


【三ノ丸】
image-1 image-1  二の丸の東側、一段下がった場所に位置する三ノ丸。現在は広場になっている。