鎌田城
文治5年(1189)に源氏が平治の乱で敗れたあと、平家討伐に備える為に源義朝の家臣の鎌田俊長によって築かれたのが始まりとされる。明応2年(1493)に伊勢新九郎(北条早雲)が堀越御所を攻め足利茶々丸を滅ぼしたため、、この地を支配していた伊東氏が伊勢新九郎の伊豆侵攻に備えて整備したと言われている。下田城と小田原城の中間地点にあたる海路と陸路の要衝となっている事から、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めの際には、北条氏家臣の朝倉氏によって改修されたと考えられるが、発掘調査の結果では15世紀末頃のものしか見つかっていないらしい。しかも出土状態などから、落城しそのまま廃城になった可能性が高いとのこと。だとすると、現在見られる遺構は、伊東氏の頃のものと言うことになるが、それにしては、随分と技巧的な造りが多いように思う。やはり遺構を見る限りでは、北条の手が加えられていたと考える方が自然に感じる。
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ここでの郭番号は現地の解説板に従っている。
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登城路
【登城路】 |
登城路はいくつかあるようだが、今回は東側山麓の案内板のある場所から登城。この辺りは車の廃棄場所になっている様子で、割と上ったところにも車が捨ててあった。登ってきたのかな?
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【登城路】 |
登城路はハイキングコースとなっているため、登りやすい道になっているものと思っていたが、すぐに写真のような沢になる。雨が降っていなくてもぬかるんでいたので、雨の日などは大変そう。よく見ると、ハイキングマップにも、『一部沢』と書いてあった。
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【炭焼釜跡】 |
上記の登城路の途中にある炭焼釜跡。比高は200m程とそこそこあるため、途中にこういう遺構があると少しやる気が出る。
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【堀切】 |
西側からの登山道と合流してから尾根伝いに山頂への登城路が続く。その尾根にはしっかりと堀切が掘られている。
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【二重馬出し 掘切①】 |
尾根沿いを進むと見えてくる掘切。この辺りから一気に技巧的な中世山城の雰囲気になってくる。この1本目の掘切の先に小曲輪が設けられ、馬出し状になっている。
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【二重馬出し 掘切②】 |
小曲輪の先に設けられた2本目の掘切。1本目よりも深い掘切が残っており、右側には土橋が設けられている。
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【二重馬出し 掘切③】 |
その先の3本目の掘切。これでもかと大手筋を徹底的に経ちきっている。こちらも小曲輪から続く土橋が明瞭に残っている。これらの掘切で三重の掘切と見ても良いし、掘切間の小曲輪を考慮して二重馬出しと見ても良さそうだが、いずれにしても、かなり技巧的な造りであった事がよく分かる。ここを見ただけでも、これが伊東氏の頃の遺構とはとても思えない。
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【馬出し~主要部】 |
二重馬出しを抜けるとすぐに主要部だが、その登城路も左に曲げておく芸の細かさ。
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主要部
【5の郭】 |
登城路を登り切ると主要部の東側を取り巻く腰曲輪的な郭に至る。現地解説板によるところの5の郭にあたる場所。土塁は見られないものの、周囲は綺麗に切り岸加工され見事な空堀が残っている。
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【5の郭空堀】 |
5の郭周囲の空堀。北側の竪堀がそのまま5の郭の東側を取り巻く空堀になっており、ほぼ完存している。
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【5の郭竪堀】 |
上記の空堀から東側に一部竪堀も延びている。やや草に覆われているものの、形状ははっきりと分かる。
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【2の郭、3の郭】 |
5の郭から西側に一段上がったところが2の郭と3の郭。藪もあって境界は判然としないが、北側が2の郭、南側が3の郭となっている様子。この辺りも特に土塁は見られない。
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【2の郭からの眺め】 |
2の郭からは東側を見渡すことができ、現在の伊東市と海を一望出来る。ここが陸路と海路の要衝だった事が改めて分かる。やはり北条氏もこの場所を全く利用しなかったはずはないように思う。
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【主郭】 |
標高318mの城山の最高所に位置する主郭。周囲には一部土塁が残っているが、それ以外は特に技巧的な造りなど見られない。中心部付近のみを見ると、古い時代の城のようにも見える。郭の北側、2郭との間には社が建てられているが、現在は完全に崩壊してしまっている。
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【主郭南側】 |
主郭の南側は帯郭が設けられている。この郭も基本藪だが、ハイキングコースになっているようで、人が歩くだけの道は通されている。
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【6の郭】 |
西側先端に位置する郭。ここだけ綺麗に草が刈られており、西側の松川湖方面が良く見渡せるようになっている。ドローン映像でもこの部分だけ草が無いのではっきりと分かる。おそらくハイキングコースを歩いてきた人々は、ここで松川湖を見ながら一休みして帰っていく場所なのだろう。この郭の西側にも数段の郭がありそうだが、草ではっきりとは確認出来なかった。この先はハイキングコースではないから仕方がない。
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【4の郭】 |
6の郭の北側、主郭部西側の腰曲輪にあたる場所が4の郭。この辺りも特に何があるわけでもないので、見過ごして通り過ぎてしまいそうな郭。
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【10の郭】 |
今度は主郭部の東側へ。一段下がった腰曲輪的な郭が10の郭。一見するとただの腰曲輪だが、ここの空堀が大迫力。
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【10の郭 二重堀①】 |
10の郭の東側尾根には二重堀が掘られている。こちらはその1本目の掘切。規模の大きな堀がほぼ完存しており、土橋も見られる。
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【10の郭 土橋】 |
1本目の掘切の北側に設けられた土橋。こちらも良く残っている。
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【10の郭 二重堀②】 |
2本目の掘切。1本目より規模が大きく、南側はそのまま竪堀となっている。この辺りはかなり規模も大きく技巧的に造られており、大手の二重馬出しと共に最大の見所になっている。
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【10郭東側】 |
上記二重堀の東側。確かに割と傾斜が緩い。こちらからの登城ルートを分断する必要があったのだろう。
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