勝間田城
この地域を本拠地とする勝間田氏によって応永年間(15世紀中頃)に築かれたと推定される牧之原台地に連なる尾根に築かれた山城。勝間田氏は鎌倉幕府の御家人から始まるかなり古くからの一族で、戦国期以前の形状を残している。応仁の乱後、今川氏と対立し文明8年(1476)今川義忠に攻められ落城し、一族は四散した。それ以降、使われたという記録は残っていないが、遺構からは手を加えられた形跡が見られる。発掘調査により、多くの遺構や遺物が発見されており、現在は県の史跡に指定されている。
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登城口~出曲輪
【出曲輪】 |
山麓の駐車場から数分歩くと出曲輪に至る。出曲輪は現在は茶畑になっている。
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【馬出し】 |
出曲輪から三の曲輪は細長い土橋で接続され、その間には小規模な馬出しが設けられている。言われなければ気づかないくらいのサイズ。
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三の曲輪
【三の曲輪空堀】 |
出曲輪と三の曲輪との間は、自然地形を利用した巨大な空堀と言うか谷になっている。曲輪の側面には犬走りのような地形も見られる。
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【三の曲輪虎口】 |
馬出しを通り三の曲輪虎口へ。虎口の手前に『勝間田城跡』の石碑が建てられている。ここの虎口の東側にも虎口跡のような痕跡が一ヶ所見られるが、当時の遺構かは不明。
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【三の曲輪】 |
東西100m程ある城内でも最大の三の曲輪。周囲を土塁に囲まれ、曲輪内からは建物跡や馬洗池と呼ばれる水場も見つかっている。過剰なまでの案内板が建てられているので、迷う事はなさそう。
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【三の曲輪建物跡】 |
三の曲輪の西側に平面展示されている掘立柱建物跡。3間×3間の比較的簡素な建物で、虎口の見張り小屋的な建物だったと思われる。火災した跡が見られるらしい。
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【三の曲輪東側の連続掘切】 |
三の曲輪の東側の尾根上には二重の連続掘切が掘られており、尾根筋を遮断している。
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二の曲輪
【二の曲輪土塁】 |
三の曲輪と二の曲輪とを隔てる綺麗に整備された土塁。この辺りの大規模な遺構は、とても勝間田氏時代のものには見えない。今川氏時代以降に手が加えられたものに見えるが、発掘調査の結果では15世紀後半のものが多いらしい。と言う事は、やはり勝間田氏時代に既にこのような縄張りをしていたのだろうか。
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【二の曲輪】 |
三の曲輪から土塁を隔てて2m程上がったところに位置する二の曲輪。三の曲輪との間には二ヶ所の虎口跡が見られる。また、曲輪内からは礎石建物跡を含む複数棟の建物跡が見つかっており、現在は平面展示されている。この時期の山城に礎石建物が建てられていたのは珍しく、かなり重要な建物だったと思われる。
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【二の曲輪西側虎口】 |
二の曲輪には、上記の三の曲輪との二ヶ所の虎口の他、西側にも虎口跡が見られる。この虎口の外側に曲輪などは見当たらないので、どこに続いているのかは不明。山麓まで一気に降りるルートだろうか。虎口横には石が積まれているが、当時のものかは分からない。
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【二の曲輪~東尾根曲輪】 |
二の曲輪の南側、東尾根曲輪との間は自然地形を利用した巨大な空堀になっている。と言うか、こちらもほぼ谷。この谷を境に城の縄張りも大きく異なって見える。
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【二の曲輪空堀】 |
こちらは二の曲輪の南側、北尾根曲輪との間の空堀。南尾根曲輪との間に比べると、随分と小規模だが、形の良い空堀が残っている。
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東尾根
【東尾根曲輪】 |
二の曲輪、三の曲輪からずっと本曲輪っぽく見えていた曲輪が、実は東尾根曲輪。一見するとここが最高所に見え、眺望も最も良い曲輪だが、確かに本曲輪とするには狭すぎる。広さ的にはどちらかと言うと物見のための曲輪と言った感じで、実際、ここからは柵に囲まれた物見台が見つかっている。
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【東尾根曲輪連続掘切】 |
東尾根曲輪の東側に尾根に設けられた5重の連続掘切。この掘切は一番の見所で、鋸状の見事な掘切は圧巻だが、他の尾根に比べても何故ここだけやたらと頑張っているんだろうという気もする。
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【東尾根】 |
上記の連続掘切の先の東尾根も削平されて曲輪状になっているが、現在は藪に覆われている。この方面がかなり弱点だったと言う事だろうか?
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本曲輪周辺
【本曲輪】 |
城内の最高所に位置する本曲輪。最高所ではあるものの、少し奥まった場所に位置しており、目立たない曲輪。その為、二の曲輪、三の曲輪からよく見える上記の東尾根曲輪が本曲輪のように見えてしまっている。とは言え、本曲輪の周囲には四方に小規模な曲輪が配置されており、よく見るとこちらが中心的な曲輪である事が分かる。曲輪内には現在勝間田神社や石碑が建てられており、周囲には高さ2m程の重厚な掻き上げ土塁が残っている。
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【北尾根曲輪】 |
本曲輪の北側、二の曲輪との間に設けられている二段の曲輪。本曲輪周囲の曲輪は二の曲輪、三の曲輪と比べると一つ一つの規模がだいぶ小さく、いかにも中世山城といった感じ。二の曲輪、三の曲輪とはやはりだいぶ時代が違うように見える。
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【南曲輪】 |
本曲輪を取り巻く小曲輪の一つで、牧ノ原台地に通じる南側に設けられている南曲輪。この曲輪も規模は小さいが、外側に土塁がしっかり残っている。
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【南尾根】 |
南曲輪の先は牧ノ原台地へと続く尾根が続いている。途中、掘切や土橋のような地形が見られるが、東尾根のような派手な連続掘切などは見られない。この尾根筋こそ守らなくてはならないような気がするのだが、ちょっと良く分からない。
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