【稲荷神社】 |
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城域の東に位置する稲荷神社。承平7年(937)創建の神社で、武田信玄が丸子城を整備した際も 守護神として崇敬され、徳川幕府にも継承された由緒ある神社。近年、静清バイパス建設の際に 現在地に移築され、奥宮が外曲輪にある為、神社の横から背後の斜面を外曲輪まで直上する階段が 設けられている。 |
【大手道】 |
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本来の大手道は東尾根伝いに丸子の里へと通じるルートだったと思われる。 途中には虎口跡のような切り通しなども見られる。 ちなみに、山麓では駿府匠宿として色々と施設が建てられ、町おこしを頑張っている。 |
【外曲輪】 |
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城域から東にのびた尾根上にある外曲輪。一部には腰曲輪のような地形も見られるが、 全体的に周囲が判然としない。稲荷神社の奥宮が建てられている。 |
【大手曲輪】 |
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尾根上の大手を守る馬出し状の曲輪。周囲の空堀や空堀に架けられた土橋などが見事に残っている。 また、北側には高さ2m程の土塁も残っている。 |
【大手曲輪〜北曲輪】 |
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大手曲輪と北曲輪との間の木戸口と呼ばれる部分。この辺りはしっかりと削平されておらず 北曲輪にかけて傾斜している。虎口付近には木戸跡と思われる窪みが見られる。 |
【北曲輪】 |
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尾根上に設けられた東西に細長い曲輪で、北側には高さ2〜3m程の土塁が残っている。 比較的小規模な曲輪だが、今川氏時代はここが本丸だったらしい。 |
【北尾根】 |
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北曲輪の北側にも尾根が続いており、尾根を断ち切る堀切が掘られている。 城域は一応この堀切あたりまでだったと思われる。 |
【北曲輪〜三の丸】 |
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北曲輪から本丸までの間は、小規模な曲輪や堀切が連続している感じで、境界が判然としないが 北曲輪西側の堀切の先の一段高くなった場所あたりが三の丸と思われる。 両側の斜面にはこの辺りには竪堀が多く掘られている。 |
【二の丸】 |
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三の丸の西側に位置する二の丸。二の丸と三の丸との間には東西の尾根に竪堀が掘られている。 |
【二の丸〜本丸】 |
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本丸と二の丸とを隔てる堀切。他の堀切と比べてもひときわ規模が大きく、本丸との高低差は10m近くある。 当時は二の丸との間に木橋が架けられていたらしい。 |
【本丸 枡形虎口】 |
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本丸の北東隅は枡形になっており、ここに二の丸からの木橋が架けられていたと思われる。 枡形周囲の土塁が明瞭に残っている。 |
【本丸】 |
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標高136mの三角山の最高所に位置する本丸跡。千畳敷と呼ばれる広大な曲輪で、 北側と西側の一部には土塁が残り、周囲はしっかりと切岸加工されている。 |
【本丸腰曲輪】 |
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本丸の東側の平虎口の外側にはのろし場と呼ばれる腰郭があり、さらにその下方にも 数段にわたり馬蹄形の小規模な腰郭が連続している。 |
【搦手】 |
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本丸の南隅からは山麓に下りる遊歩道が続いている。当時の搦手道として 使われていたかもしれない。 |
【本丸西側虎口】 |
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本丸西側の虎口。この虎口の外側には物見曲輪方面へと通じる土橋が設けられ、 土橋とは食違いになっていた。 |
【物見曲輪】 |
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本丸西側の一段下がった場所に位置する平場。この曲輪の西側下には大鑪曲輪とを断ち切る 堀切規模の大きな堀切が掘られている。 |
【大鑪曲輪】 |
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物見曲輪の西側に位置する大鑪曲輪と、それらを分断する巨大な堀切。大鑪曲輪は丸馬出し状の曲輪で、 周囲には見事な三日月堀が残っている。 |
【大竪堀】 |
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大鑪曲輪の三日月堀付近から西側の山腹に掘られた長大な竪堀。全ては確認出来なかったが、 山麓まで続いているらしい。堀の両側には竪土塁も築かれ、通路として使われていた可能性もある。 |
【南側竪堀】 |
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大鑪曲輪周辺は特に厳重に守られており、三日月堀の南側にも竪堀が掘られている。 |
【西大堀】 |
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城域の西側には西大堀と呼ばれる長大な横堀が全周にわたり巡らされている。 横矢や馬出し状の土塁などが見られる他、竪堀とつながっている箇所もあり、 これらの複雑に入り組んだ土塁が明瞭に残っている。 |
【隠し曲輪】 |
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西側の土塁にはコの字状に曲げられている部分がある。どのような用途だったかは 良く分からないが、竪堀ともつながっている場所であるため、横堀や竪堀を通り 攻めてきた敵を迎え撃つための隠し曲輪的な場所、もしくは虎口や銃座のような場所 だったと思われるだ。 |
【馬出し】 |
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西側の土塁上に設けられた丸馬出し状の曲輪。周囲には三日月堀も掘られている。 ここを馬出しと見るかどうかは微妙なところだが、空堀外側の土塁を馬出しに続く 長い土塁と見れば、馬出しと見れない事も無い。 |
【西大堀】 |
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本丸の西側の大鑪曲輪付近から続く西大堀は、そのまま北側に回り込み 北尾根の堀切付近まで100m以上にわたり続いている。 |
【誓願寺】 |
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城域の西側山麓の寺。源頼朝より両親追善のために建立されたが、天文年間(1532〜1555)に 丸子城の戦火により類焼し、武田信玄により再建された。大坂の冬の陣の発端となった 方広寺大仏鐘銘事件で、駿府城の徳川家康に弁明に来た豊臣家家臣、片桐且元が逗留した場所でもある。 境内には子孫によって建てられた片桐且元夫妻の墓が建てられている。 |