持舟城跡



【持舟城跡】
image-1  築城時期は定かではないが、日本坂峠越えの街道を抑える要所に位置する事から、 に駿府を守る重要な拠点として、今川氏の頃から何らかの砦が築かれたものと思われる。 永禄11年(1568)武田信玄が駿河に侵攻してきた後は、武田水軍の拠点として機能し、 高天神城の後方支援の役割を担った。その後、徳川家康が駿河に侵攻し、高天神城が 落城し持舟城も外郭を陥とされると、開城して廃城となった。 廃城までの間に今川・武田・徳川によって三度の攻防戦が行われ、数百もの将兵が 討死にした記録が残っており、非常に重要な砦だった事が分かる。


【登城路】
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 用宗駅の北側の浅間神社の横から舗装された道があるが、ここは農道らしく、 一般車は通行できない。この農道を上ると城址入口の階段がある。


【浅間砦】
image-1  登城路の途中出見える城域の南に突き出した浅間砦。当時から出曲輪として 利用されていたと思われる。現在は私有地となっており、立ち入り出来ない。


【石積】
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 登城路には古そうな石積みが所々に見られるが、当時のものかは不明。


【本丸跡】
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 城山最上部に位置する本丸跡。中世の山城にしてはかなり広い。 以前は朽ち果てた城山観音の建物があったらしいが、訪れた時は綺麗に無くなっていた。


【本丸からの眺め】
image-1  本丸跡からは駿府の市街が一望できる。現在でも東海道線、東名高速などの主要交通機関が通り、 交通の要衝である事が分かる。ちなみに、城域と出曲輪との間には新幹線が通っており、 こちらもすごい迫力。


【堀切】
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 本丸と二の丸との間に残る見事な堀切。北側の井戸跡があったと思われる辺りは 金網で覆われていた。


【二の丸跡】
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 本丸の西側に位置する二の丸跡。現在はみかん畑になっており、レールがここまで敷かれているいるが、 周囲には腰郭が残っている。


【大雲寺】
image-1  南側山麓に位置する大雲寺。当時はこの辺りは蔵屋敷と呼ばれており、 水軍の港に直結する居館部があったと思われる。