諏訪原城 大手曲輪・惣曲輪



【大手曲輪】
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 城域の西側位置する広大な大手曲輪。南北に空堀が残り、内部は現在は茶畑になっている。 また、徳川家康に攻められた際に討ち死にしたと言われている当時の城主、今福浄閑斎の石碑も 茶畑の中に立てられているが、今福浄閑斎は実際には天正5年(1577)に駿河久能城主に 任命されていた事が確認されているので、実際にはここで討ち死にしていなかったと思われる。

【大手南外堀】
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 大手曲輪南側に残る空堀。大手馬出しの三日月堀の中程から直線的に西に延びている。 深さ1〜2m程で一部埋められている場所もあるが、当時はもっと深かったと思われる。

【大手北外堀】
image-1 image-1  大手曲輪北側に残る空堀。南外堀に比べると、土塁を伴う空堀が明瞭に残っている。 この堀の北側が惣曲輪。


【惣曲輪】
image-1  大手曲輪の北側に位置する惣曲輪。当時は西の丸曲輪や馬場などがあったらしいが、 現在は山林になっている。


【井戸跡】
image-1 image-1  大手曲輪の外堀付近には井戸跡のような窪みが見られる。