諏訪原城 二の曲輪中馬出



【二の曲輪中馬出】
image-1 image-1 image-1
image-1 image-1 image-1
 二の曲輪の西側に設けられた中馬出し。北側の北馬出しと土橋で繋がれ、二重馬出しとなっている。 また、周囲には幅15m程もある規模の大きな三日月堀が約70mにわたり続いている。 丸馬出し+三日月堀と言えば武田氏で有名だが、この規模のものは徳川時代の遺構だろうか。


【土橋】
image-1 image-1 image-1
 中馬出と北馬出しとを繋ぐ土橋。幅3〜4m程細く長い土橋が見事に残っている。 二の曲輪からは完全に射程距離内で、攻撃にさらされる事になる。


【二の曲輪北馬出】
image-1 image-1 image-1
image-1  中馬出の北側に位置する北馬出。惣曲輪から攻め込むと、まずこの馬出しに至る。 周囲の空堀は深くて急峻に切岸加工されている。発掘調査の結果、薬医門と思われる 門の礎石と土塁が見つかっている。


【二の曲輪中馬出付近の空堀】
image-1 image-1  二の曲輪中馬出と二の曲輪とを隔てる空堀。幅15m程の空堀が見事に残っている。


【中馬出〜二の曲輪】
image-1 image-1  内堀に架けられている土橋。二の曲輪と中馬出とを繋いでいた。当時は厳重な門で守られていたと思われる。 現在は舗装されている。