【二の曲輪東内馬出】 |
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【二の曲輪南馬出】 |
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東内馬出の南側に位置する南馬出。東内馬出とは土橋で繋がり、二重馬出を構成している。 他の馬出と比べると規模は小さいが、非常に形良く残っている。大手馬出や中馬出はその規模から 徳川氏時代の改変が考えられるが、この辺りは武田氏時代の遺構がそのまま残っているように思える。 |
【二の曲輪東馬出】 |
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東内馬出の南東に設けられた東馬出。東内馬出とは非常に細い土橋で繋がれており、いわゆる『捨て曲輪』 的な役割を担っていた馬出しと思われる。訪れた時は発掘調査中で、ブルーシートの横には発掘で見つかったと 思われる石が積まれていた。 |
【二の曲輪東内馬出〜二の曲輪東馬出】 |
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東内馬出と東馬出とを繋ぐ土橋。いざとなればすぐに破壊できそうな幅1〜2m程の非常に細い土橋だが、 見事に残っている。東馬出付近で発掘をしていたが、門の跡でも探していたのだろうか? |
【二の曲輪東馬出】 |
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東内馬出と東馬出とを隔てる空堀。幅15m程あり、東内馬出周囲の三日月堀のような形状が良く残っている。 |