高天神城


【高天神城跡】


【大手道】


【追手門跡】


【着到櫓跡】


【三の丸】
 武将が宿営した所。元亀二年より天正二年にかけて、武田勢が来攻当時、小笠原与左衛門清有が三の丸の 大将として、城兵二百五十余騎を従えて守備したことから、別名、与左衛門平とも言う。


【鐘曲輪】


【井戸曲輪】


【本丸跡】


【元天神社】


【石牢】
 大河内源三郎政局が8年間あまり幽閉されていた石牢。家康が城を奪還して救出された時は歩行困難だった。 大河内は後年家康に召されて長久手で討ち死にした。


【御前曲輪】


【的場曲輪】
 井戸曲輪から本丸


【西の丸跡】
 西の丸は岡部丹波守真幸が守備レていた時期があり、丹波曲輪とも呼ばれている。


【西の丸〜馬場平】


【馬場平】


【甚五郎抜け道】
 天正九年三月落城の時、二十三日早朝、軍監横田甚五郎は本国の武田勝頼に落城の模様を報告する為、馬を馳せて、 是より西方約一千米の尾根続きの険路を辿って脱出し、信州を経て甲州へと抜け去った。この難所を別名犬戻り猿戻りとも言う。


【二の丸跡】


【二の丸 本間 丸尾】


【二の丸 堂の尾曲輪】


【二の丸 堀切】


【二の丸 袖曲輪】


【二の丸 土橋 空堀】


【三日月井戸】
 搦め手方向に残る三日月井戸


【搦手】


【搦手門跡】
 元亀から天正2年にかけて、渡辺金太照が大将として城兵二百五十余騎を率いて守備した所である。