宇佐美城
伊豆で大きな勢力を誇っていた工藤氏の一族である伊東祐継の三男、宇佐美三郎左衛門尉祐茂によって平安時代末期頃に築かれたと言われている。祐茂はこの地で宇佐美氏を名乗り、源頼朝の挙兵の際には呼応して挙兵し、子の宇佐美平太実政とともに数々の戦功を挙げ、頼朝の側近として重用された。宇佐美氏と言うと、上杉氏の重臣の宇佐美定満が思い浮かぶが、定満はこの子孫らしい。
城は比高20m程の独立丘に築かており、山上は広く東西80m、南北60m程の平地が拡がっているらしいが、以前は大学寮に敷地になっていたり、訪れた2021年時点ではキャンプ場になっていたりで、なかなかに難攻不落。現状はキャンプ場に泊まるか遠くからドローン撮影するくらいしか術がない。公園化の計画もあるっぽいので、期待して待ちたいところ。
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その他
【築城石】 |
宇佐美城とは直接の関係はないが、このあたり一帯は江戸城を築く際の石丁場となっており、ところどころに切り出された築城石が見つかっている。写真の宇佐美駅前に置かれている築城石だが、巴紋と輪違の刻印がみられる。脇坂家だろうか?
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【一の橋と水堀】 |
大手口に建てられた立派な石碑一の橋。流石は特別史跡。ここから一の橋を渡り、半月堡を経由し二の橋を渡って城内に至る。いずれの橋もいつでも切り落とせるように当時から木橋だった。また、堀幅は20m近くあり、その先にも広大な犬走りが設けられているので、本塁まではかなりの距離がある堅固な造りだった。時代が違えば結構難攻不落だっただろう。
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