【駐車場】 |
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【三の丸堀】 |
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三の丸西側に自然地形を利用して掘られた二重堀で、田尻の池付近から岱先出丸まで 南北180mにわたって続いていた。現在通路となっている中央の畝を境に、西側の堀は空堀、 東側の堀は水路として箱井戸、田尻の池からの排水路となっていた。 |
【田尻の池・箱井戸】 |
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【田尻の池・箱井戸〜二ノ丸】 |
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田尻の池・箱井戸のある低地をから二ノ丸へは東に迂回する長い通路を通り、 二ノ丸西側の重厚な土塁に突き当たり、そこを右折して曲輪に入る厳重なつくりになっていた。 |
【二ノ丸】 |
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本丸の西側に位置する山中城最大の曲輪。東西に延びる尾根を掘切りで断ち切って造られており、 全体的に南に傾斜している。南側は箱井戸、北側には畝堀が掘られていた。 |
【溜池】 |
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【二ノ丸〜本丸】 |
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二ノ丸と本丸との間にも見事な畝堀が掘られており、一部畝が切れている部分も見られる。 現在は、木橋が復元されている。 |
【本丸】 |
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天守櫓とともに山中城の中心となる曲輪で、周囲を堅固な土塁と堀に囲まれている。 南側の一段下がった場所には兵糧個・弾薬庫が設けられている。江戸時代の古絵図に 描かれた本丸広間は上段の平坦面、北条丸寄りに建てられており、現在の藤棚のあたりらしい。 |
【本丸北堀】 |
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【天守櫓跡】 |
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【北の丸】 |
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本丸の北、堀を隔てた場所に位置する北の丸。発掘調査の結果、本丸との間には木橋が 架けられていた事が分かり、現在復元されている。 |
【元西櫓】 |
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一旦二ノ丸まで戻り、西側エリアへ。二ノ丸の西側、西ノ丸との間には元西櫓が設けられ、 周囲を深い空堀で囲まれている。当初は無名曲輪と呼ばれていたが、発掘調査の結果から 元西櫓と命名された。曲輪内の盛土の下にはロームブロックが積まれ、排水を促したり、 霜による地下水の上昇を抑える役割をしていた。また、東側の二ノ丸と間の堀底からは 橋脚台と柱穴が見つかっており、現在は木橋が復元されている。 |
【西ノ丸】 |
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西方の防御の拠点となる広大な曲輪。周囲は畝堀と土塁に囲まれ、西側には物見台が築かれていた。 発掘調査の結果、物見台の土塁はロームブロックと黒色土を交互に積んで補強されている事が分かった。 ここは諸曲輪が眼下に入る場所で、連絡・通報上の重要な拠点だったと思われる。 また、曲輪は全体に東に傾斜しており、雨水等は東側にある溜池に集められる仕組みになっていた。 |
【西ノ丸畝堀】 |
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【西ノ丸土橋】 |
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【障子堀】 |
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西櫓と西ノ丸との間に掘られた障子堀。北条氏特有の築城技術で、中央の太い畝から 両曲輪に交互に畝を設けて、障子の桟のように堀底を区画している。 中央部の区画からは水が湧き出しており、水堀と用水地を兼ねていた非常に珍しい造り。 きれいに復元されすぎている感もあるが、この辺りの障子堀、畝堀が山中城最大の見所。 堀幅もかなり広いが、当時はこの畝堀上に木橋が架けられていたらしい。 |
【西櫓】 |
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西ノ丸の西側に位置する西櫓。二の丸との間にも木橋が設けられ、角馬出として機能していた。 現在は南側の土橋のみが残っているが、北側の堀底からも4本の柱穴が見つかっており、 当時は木橋が架けられていたと思われる。この郭の周囲の畝堀も見事に残っている。(復元されている?) |
【西櫓畝堀】 |
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西櫓の周囲約82mを取り囲む西櫓堀。深さは10m近くあり、畝が約9m間隔で8本設けられている。 高さは堀底から約2mあり、当時は滑りやすいローム層が露出し、人が落ちたら抜けられなかったと思われる。 現在は遺跡保護の観点から芝生や樹木が植栽されている。 |
【岱崎出丸】 |
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城域の南に位置する東西に細長い広大な出丸。天正18年(1590)の豊臣秀吉の 小田原征伐に備え、急遽造成された曲輸で、一部に未完成の部分も見られる。 北側には一の堀が掘られている。 |
【一の堀】 |
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【御馬場跡】 |
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出丸で最大の曲輪。曲輪内は本丸と同様に二段構築でつくられており、 東側と北側に土塁、西側に空堀、南側は急峻な谷で囲まれていた。 建物跡は確認されていないが、田方平野の眺望が良く、出丸防衛の拠点だったと思われる。 |
【御馬場曲輪西側空堀】 |
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御馬場曲輪西側の空堀。深さ9m程の規模の大きな空堀で、堀底からは畝も見つかっている。 畝の高さは堀底から約2mあり、頂部の幅は0.6m程で、滑りやすいローム層を掘って 造られている。 |
【御馬場北堀】 |
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【構築途中の曲輪跡】 |
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【すり鉢曲輪】 |
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【岱崎出丸からの眺め】 |
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標高550mの出丸からは西側の富士山麓、田方平野が一望出来る。西から押し寄せる 豊臣秀吉の大軍が一望できた事だろう。 |