福原城



【福原城】
image-1  鎌倉時代に那須氏がこの地に移ってから300年にわたり那須氏の本拠となった場所。 応永年間に上那須家と下那須家に分裂した後は上那須家の本拠として機能していたが、 永正11年(1514)に跡継ぎをめぐる内紛に乗じて大田原氏に攻められて落城した。 その後、統一された那須氏の本拠、烏山城の支城として用いられたと思われる。 小田原の役の際には遅参を理由に領地を没収されるなどしたが、その後大名に復帰し 再びこの地に陣屋を設けて存続した。 天保元年(1681)に那須氏が烏山に移封となった際に廃城となった。


【北岡館跡】
 箒川の南側一帯が那須氏の居館である北岡館があった場所。現在は農地になっており、 一部に土塁の残欠のような場所も見られるが、当時のものかは定かで無い。
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【登城口】
 山城部分は北岡館の西に位置するが、明確な登城口は無いので道路脇から竹藪の斜面を登る。 途中、井戸跡と見られる窪みも残っている。
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【3郭】
 竹藪の斜面を登ると最初にあらわれる3郭。東側に虎口のような入り組んだ地形が見られる。
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【2郭】
 3郭の一段上にある長軸40m程の2郭。周囲を空堀と土塁に囲まれている。 土塁はあまり高くないが、南西隅には櫓台と見られる一段高く土を盛られた場所も残っている。
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【2郭空堀 西側】
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image-1  2郭周囲の空堀。空堀の外側にも土塁が築かれ、二重土塁になっている。

【北側竪堀】
 2郭の北側の竪堀。2郭の空堀とつながり、城域の下まで続いている。 この竪堀の下方には井戸跡と思われる窪みも残っている。
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【西側竪堀】
 2郭の西側の竪堀。北側の竪堀と同様、2郭の空堀とつながり城域の下まで続いていると見られる。
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【主郭〜2郭】
 主郭と2郭を隔てる空堀。西側でそれぞれの郭の横堀とつながっている。
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【主郭】
 長軸60m程の主郭内部は、かつて畑に転用されていたらしいが、現在は放置されて藪に 覆われいる。立ち入れない状態だが、周囲は郭内からでも5m以上ありそうな高い土塁に囲まれ、 櫓台のような場所も見られる。
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【主郭空堀 西側】
 主郭の西側、高低差は10m以上と見られる巨大な空堀。堀底から主郭の土塁を見上げると、 かなり迫力がある。
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【二重土塁外側】
 主郭西側の空堀の外側にも土塁が築かれ、二重土塁になっておりその外側は堀と言うより 自然地形と思われる深い谷になっている。
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【主郭南側空堀】
 主郭の南側の空堀もかなり規模が大きく、複雑に分岐しており、さらにその先には郭もあるらしいが、 藪がひどくて進めなかった。
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【玄性寺】
 城の西側の玄性寺には那須与一の墓を含む7基の墓が建てられている。近世の那須氏の 陣屋はこの辺りに建てられていたらしいが、遺構は残っていない。
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