神田城



【神田城】
image-1  古代から中世にかけて那須郡一帯を領した関東の名門、那須氏の初期の城で、 高舘城が築城されるまでの間、代々那須氏が居城し、源平屋島の合戦で活躍した 那須与一が産まれた場所とも伝えられている。 土塁と堀によって区画された東西132m、南北162mの単郭の平城で、 城外には侍屋敷や民家が相当数並んでいたとの記述もある事から、 城下町もかなり発展していたと考えられる。 古い城ながら原形を良く保っており、現在は国指定史跡になっている。


【主郭】
 土塁に囲まれた曲輪内は東西66m、南北117m程の南北に長い矩形で、東と南に 門があった。現在、西側の土塁の一部が削平され、東西の堀が埋められててしまっているが、 その他の場所は比較的良く遺構が残っている。
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【主郭土塁】
 主郭を取り巻く土塁は基底面の幅約10m、上面の幅約2m、高さ5〜6m程あり、 北東をのぞく四隅は櫓台と思われる、ひときわ高い土塁が見られる。また、一部に 犬走りのような地形も見られたが、当時からの遺構かは不明。
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【北側水堀】
 北側には幅10m程の堀が残っている。雨で水が溜まり、水堀のようになっていたが、 当時は空堀だったと思われる。
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【祠】
 土塁の北西隅に建つ祠。城域の北に鳥居が建てられ、北側の土塁が参道になっている。 祠が建つ北西隅の土塁は他の隅同様、一段高く土が盛られており、当時は櫓のようなものが 建てられていたと考えられる。
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【東側】
 大手門の外側、城域の東側の堀は埋められて農地に転用されているが、雨が降ると 水が溜まり、堀の名残が見られる。
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【大手門】
 東側土塁の中央付近に残る大手門の跡。
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【南側空堀】
 南側の土塁の外側には幅10m程の空堀が形良く残っている。
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【南側虎口】
image-1 image-1  南側土塁の中央付近に残る虎口の跡。


【西側】
 西側の土塁中央部は大きく削られ、農地や民家に転用されてしまっているが、 南北の土塁と北側の空堀は形良く残っている。
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