品川台場
品川台場について
江戸幕府が黒船来襲に備えて品川沖に築いた砲台跡。伊豆韮山の代官・江川太郎左衛門英龍
により設計され、ペリーが浦賀に来港した翌月の嘉永6年(1853)8月に着工し、1年3ヶ月の間に6基が完成した。
現在は第三台場、第六台場だけが残され、国の史跡に指定されている。
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【第三台場】 |
現在残っている第三台場。6基あった台場のうち、第三台場は昭和三年に整備され、
現在台場公園として唯一解放されている。周囲には海面から5~7m程の石垣が築かれ、
内側の平坦な窪地には陣屋、弾薬庫跡などがある。
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【第三台場 砲台跡】 |
台場の南側に設けられた砲台跡。江戸期のものではないらしい。
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【第三台場 かまど跡】 |
南西面に設けられたかまど跡。これも江戸期のものではないらしい。
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【第三台場 弾薬庫跡】 |
火薬を含んだ弾薬を格納する施設で、土塁の内側数カ所に設けられている。
砲撃による誘爆を防ぐために石室が造られ、その中に木造の収納室を設ける二重構造になっていた。
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【第三台場 弾薬庫跡】 |
こちらも台場の南東面に設けられた弾薬庫跡。鉄製の砲弾を格納する施設で、各台場に2箇所ずつ設置されていた。
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【第三台場 兵舎跡】 |
台場中央に残る兵舎の跡。当時は陸続きではなかったので、守備兵は台場へ小舟で渡り、ここに詰めていた。
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【第六台場】 |
第三台場の西にある第六台場。こちらは渡れない。現在残るのは第三台場とこの第六台場だけ。
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